色んな小話

このコーナーは、色んなテーマへのオレの思いや考えだったり、
昔のオレに起こった、なんとも不思議な思い出話などを語ってみようかと・・・。
読んでくれる方は、お酒を片手に、楽しく笑って貰えれば・・・と、そこんとこ夜露死苦!


オレが、釣りにハマったキッカケ
オレは、港区の竹芝に生まれ育ったんで、海が近かった。
とはいえ、泳げる海じゃなくて、あるのは埠頭。
その時代、シャブの取引をヤクザが行っていた場所として、刑事ドラマなんかで盛んに使われた場所でもある。
西部警察という刑事ドラマが、一大センセーショナルを起こしてた時代で、
その撮影に、オレの住んでる竹芝の近所でもあった芝浦が、チョイチョイ使われていたり、
同じ学校に通ってる子の親が経営してる喫茶店が、撮影で使われたりしてた。
そんな西部警察の、本署からメンバーが出てくる撮影シーンに使われた建物の近くに、
運河に架かる橋があるのだよ。
その橋の上から、水面を見てみると・・・、何か魚がキラキラしまくってる。
それが、いつ、どんな時に、その橋に行ってもキラキラしてるもんだから、捕まえたい衝動に駆られる・・・。
だが、橋桁から水面まで、8m位あっただろうか?
けっこうな距離があるのだから、網ですくうのは不可能。
となれば、釣るしかない・・・。
オレは、その時(10歳位)でも、それなりに釣りの経験はあった。
おふくろの田舎の青森の川で、鮒釣りをした経験もあったし、海でハゼ釣りをした経験もあった。 
なので、家に釣具がある事は承知済み。
エサさえ買ってくれば、なんとかなりそうだ・・・。
そんな想いから、まずは、釣具屋へ。
当時、ゴカイ300円、青イソメ500円、ジャリメ700円、岩イソメ800円というお値段。
ビンボーな小学生には、ゴカイ以外の選択肢はありえん状態だった。
そんなゴカイを、早速針に付け、橋の上から仕掛け投入・・・。
すると・・・!!!
そっこーで、バイト!
掛かると、とんでもなく引く!!!
何コレ!!!
コレが・・・、釣り???
今まで釣ったことがあった鮒やハゼとは、ケタが違う・・・。
なんだこりゃ???
そんな強烈な引きの正体は、50cm超えのボラ!
初めて釣った巨大魚に、感動しまくりだったけど、その後も、ほぼ入れ食い!
ただ、8mの橋の上から釣ってるもんだから、水面から抜き上げて、橋の上まで来る途中に、
重さに耐えかね、ラインブレイクしまくる!
結局、持ってきてた針が無くなってしまい、釣りを止めることになるのだけど、
それまでに上げたボラは、10匹を超えていた・・・。
その達成感たるや、ハンパ無かったねぇ。
小学生が、自分で考えた釣り方だけで、50cmを超える巨大魚を10匹以上釣り上げる。
当然、当時はキャッチ&リリースが、まだまだ浸透してない時代だったから、釣った魚は喰うのが当たり前。
なので、釣り上げた喜びだけじゃなくて、自慢出来る喜びも凄まじいモノだった。
それも、初めてのおつかい・・・じゃなくて、一人釣行での成果だからね。
大興奮だったし、釣りって最高!!!って思った。
でも、50cmオーバーの巨大魚10匹以上・・・って、どうする???
なにがなんでも、全部を持ち帰らなきゃ、この偉大さが伝わらん。
1匹だけ持って帰って、10匹釣ったと言っても、誰も信じちゃくれないからね。
なので、近所のおっちゃんに貰ったゴミ袋に詰め、このボラ全てを持ち帰った・・・。
もちろん、家じゃヒーロー!
もはや、オレは釣りの天才と称されるほどだった・・・。
だが、こんな巨大魚は大量にイラン・・・ということで、近所の食堂のおばちゃんに、1匹を残して全部あげた。
我が家では、1匹だけ調理。
どう喰ったら美味いのかワカランから、ウチのばあさんに任せてみると、半身塩焼き、半身煮付け。
出来上がったのを喰ってみると・・・!!!
悶絶、ヘドロ臭ーい!!!!!
なんじゃこりゃ?????
コレは・・・、喰っちゃアカン!
人間様が、食べるもんじゃない!
いや、猫だって、こんな魚喰わないぞ・・・。
1980年代の昭和の川は、汚染にまみれてる・・・。
その汚染した川の、底のヘドロごとボラはエサを喰う・・・。
なので、ボラがとんでもなく臭い・・・。
焼こうが煮ようが・・・、どうにもならん!
コレは、喰ってはアカン魚じゃ!
とにかく、後にも先にも、これほどヘドロ臭い魚を喰ったことは無い・・・。
ピータンが、稀に、こういう味する時がある・・・ね。
腐ってたんだろうなぁ・・・。
とにかく、酷かった。
母ちゃんにも、二度と持って帰って来るな!と、強く言われたもんだったね。
ちなみに、近所の食堂では、刺身で振舞ったという話を聞いたのだが・・・、マジか?
あのヘドロ臭漂う昭和の汚染された川育ちのボラを、刺身で喰うなんて・・・、マジでイカレテルぞ。
あの時代って・・・、そういうのアリだったのかなぁ?
でも、とにかく、巨大ボラの釣り味は最高。
その後も通い続け、巨大ボラ釣りを楽しんだもんだった。
時に、シーバスがルアーで釣れなかった悔しさを癒すために、エサ買ってきてボラ釣って納得したり。
バスフィッシングで主流のベイトタックルを買ったから、ついつい使ってみたくて、ボラ釣りに導入したら、
水面から8m上の橋に上げるまでの重さに耐えられず、竿が折れてしまい激ショックだったり・・・。
そんな色んなボラ釣りの思い出が、オレの釣りのルーツなのだと思う。
だからこそオレは、ルアー釣りだけに特化することなく、釣りキチ三平の様に、色んな釣りを、色んな場所で堪能することが、
人生の目標でもあり、ライフワークでもあるのだと思う。
これからも、色んな釣り方で、色んな魚達に出会いたいね。
待ってろよ!魚達!!!


オレが釣った、最高サイズの獲物・・・
小4の時だったかなぁ・・・。
芝浦埠頭で、一人で釣りをしてた時、事件は起こった!
その時は、サビキでイワシを狙ってたのだけど、
良く釣れる場所を求めて移動しながら釣りをしてた。
ちょっと仕掛けを落としてみて、釣れなければ、もうちょっと先へ・・・みたいな感じね。
移動手段は、チャリ。
埠頭までチャリで来ているのだから、まあ当たり前。
ただ、その日は風がハンパ無かった・・・。
当然、釣りは埠頭の淵でやる。
となれば、即移動出来るように、チャリも淵に停める・・・。
そうすると、どうなるか・・・?
そう、強風によって、チャリがぁぁぁぁぁぁぁ!
ピューっと風が吹き・・・、ガタガタガタガタ・・・、ドボン!!!
何ぃぃぃぃぃぃぃぃぃイイぃぃ!!!!!
振り返るとチャリは・・・、無い!
水面に・・・チャリ!
チャーリーじゃない・・・、チャリの方。
意外な程、ゆっくり沈んでいく・・・。
マジか・・・。
飛び込めば、沈むのを食い止められるんじゃねぇーか?
そんな想いがたぎる・・・。
小4にして、なんとかこの事態を食い止めたい!
でも、ヤバイのがすぐに理解できる・・・。
埠頭は、足場が高い。
仮に、沈むのを食い止められても、チャリだけじゃなくて、チャーリーだけでも埠頭を登ることが出来ない。
はしごなんて、かけてないからね。
海面から5m位上にある埠頭に、どうやって登るんじゃ。
しかも、チャリを担いで・・・。
そんなん、無理っしょ。
そうこうしているうちに、チャリは見えなくなっていった・・・。
どうする???
小4にして、一家の宝を水没させてしまった事が、とんでもない事件の犯人となってしまった感で一杯!
だけど、どうするもこうするも・・・、なんも出来ねぇー!
トボトボ歩いて帰る以外、どうしようもない・・・。
家に着くと、幸いなことに、誰もいない。
疲れ果てたオレは、ベッドの隅っこで、いつの間にやらzzz
数時間後、家中大騒ぎに!
「チャーリー帰ってない!」
「チャリも帰ってない!」
「どうした???どうなった???」
「事故か???」
もう、大騒動。
そんな中、姉がベッドでアンモナイトと化してたオレを発掘する・・・。
もちろん、オレは、号泣。
どうすることも出来なかったのが、すんごく悔しかったのだよ。
だが、オヤジが、妙なことを言い始める。
「落とした場所、覚えているか?」
埠頭には、船を係留する係船柱というのがあって、それに番号が振ってあったのだよ。
オレは、釣れる場所を探す目的で釣りしてたから、分かりやすいように係船柱の前で釣りしてたから、
チャリが水没したドンピシャの位置を把握してる。
するとオヤジが、「深さは?」
それも、当時ダイワのコンピューターリールを使っていたんで、水深40mということまで把握。
この時ほど、最先端のコンピューターリールを買って良かった・・・と、思ったことは無い。
すると翌朝、AM6:00頃叩き起こされ、「行くぞ!」と。
オヤジは、投げ竿に、ステンレス製のチェーンを用意。
チェーンの先には、フック型の金具を取り付けている。
当時、オレの家は、半分住処で半分オヤジの会社だった。
オヤジの会社は、今オレが本業で取り扱ってるのと同じ金属部品を販売してたので、
50mのステンレスチェーンやフック型の金具が会社に置いてあった。
いや・・・だからって・・・、どうすんの???
まさか、釣り上げる気か???
確かに、当時チャリンコは高級品。
現代の様に、1万円以下で買える様な代物じゃ無かった。
我が家にあったのも、家族で乗り回してる1台だけだった。
いや・・・だからって・・・、釣り上げるか?
っていうか、そもそも釣り上げられるのか???
そんなオレの心配をよそに、いざ芝浦埠頭へ!
まず、オヤジは、投げ竿にナス型重りを搭載し、オレが示したチャリンコ水没スポットを探ってみる。
水深40mもあると、着底までの間に流されてる可能性もあるんで、まずは、ドコに水没してるかを探る。
すると、それほど流されてない位置で、重りが引っ掛かる。
そこへ、フックを搭載したチェーンを投下!
水深40mもあると、そう簡単には引っ掛からなかったけど、突如、ガッチリキャッチ!
そこで、オヤジにオレと弟の3人で、えっちらおっちら引き揚げる・・・。
が、しかし・・・、想像以上に重い。
ちょっと油断すると、ズルズル引っ張られ、コッチが落ちそうになる位・・・。
どうする?
そんな時、偶然釣り来てたのは同じ学校に通う仲間。
たまたま2人釣りに来てたから、事情を説明し、引き上げ要員へ。
子供2人とはいえ、やっぱし頭数が増えると威力倍増!
重いが、チャリは上がってくるようになった。
だが・・・!!!
水面まで来て、引き上げようとした瞬間、とんでもない負荷がかかる!
水面から空中に出すことによって、急にとんでもない重さになることにみんなビックリ!
その衝撃で、フックが外れてしまい、またもや海底へ・・・。
マージーかーよー・・・。
でも、コレで、救出できる確信を得た。
もう一度、投げ竿で落ちた位置を特定し、フック付きチェーンを投下。
引っ掛かったなら、もう一度引き上げる。
今回は、水面から引き揚げる時、最大限の注意を払う。
さっきは、フックがスポークの位置に引っ掛かっていた為、水面から引き上げた時の重さに負け、
外れてしまった様だが、今回はハンドルにフックが引っ掛かってる。
コレだと、スポークの様に弱くは無いから、重さに負けることは無い。
でも、空中に上げた時の負荷は、ホントにハンパ無い。
こんなにも重くなるのか?っていう位だったけど、ついに・・・、
チャリは、なんとか上がった!
よっしゃー!!!!!
昨日の絶望感がウソの様な、ハンパじゃない達成感だ!
みんな同じ気持ちで、やんややんやの大騒ぎ!
しっかし、水深40mの海底から、チャリを釣り上げるかね?
そのジャンキーな発想と行動力は、オレの人生に多大な影響をもたらす事なった気がするよ・・・。


ザリガニは臭い・・・
木の枝に、糸を垂らし、その先にスルメイカをつけて、ザリガニを釣る・・・。
そういう体験を、イマドキの子はやったことあるのかね?
昭和の子供達は、男の子なら、皆やったことがあるはず。
それほど、簡単に仕掛けを作れるし、水辺は、大都会東京でも、それなりにあった。
だが、先の仕掛けでは、釣り上げるのは難しかったりもする。
子供は、なかなか待つ事が出来ないんで、ハサミでイカをつかんだ時点で上げてしまい、
途中で、ザリガニは落ちちゃう事が多いのさ。
そういう時、網でフォローすれば、確実なキャッチが出来る。
オレは、ザリガニ釣りも好きだったので、けっこう各地でやってた。
そんな時、大田区の野鳥公園へ始めて行った。
ここには、ブラックバスが居るという評判を聞きつけ、港区からわざわざチャリンコで遠征してきたのだった。
なぜなら、ルアーフィッシングが大好きだというのに、当時東京にはバスフィールドが奥多摩湖しか無かった。
港区から奥多摩湖まで、電車を乗り継いでバスに乗って、片道3時間以上!
そんな場所へも、1度は行ってみたが、ポイントも知らんから、なんも釣れずに、駅前でコーンラーメン喰って帰ってきた。
つまりは、当時のオレにとって、ブラックバスは憧れの魚でもあった。
まあ、東急の屋上の釣り堀で、エサで釣った事はあったけどね。
ルアーじゃ、釣ったこと無いっす!
日々、ルアーでシーバスを狙える環境下に居たんで、シーバスはラパラで釣ってたけど、バスは釣った事が無かった・・・。
そんな時、野鳥公園にバスが居ると聞いたなら、行くっきゃないっしょ。
その時の為に、ありとあらゆるルアーを買い揃えていた。
ドリンカー、リブンシケーダー、ピコスラッシャー、シャドラップ、フィンガーマレット、コネリー、バスハンターなどなど、
普段のシーバスフィッシングじゃ、使った事が無かったルアーを存分に楽しめる!
それだけでも、すんごく楽しみだった・・・。
ところが、現地に着くとビックリなのは、異様に浅い・・・。
池の奥だと、それなりの深さもあるのかもしれないが、当時のタックルで飛ばせる飛距離は、せいぜい30m位。
その位置だと、水深1mも無い。
だもんで、ほとんどのルアーが、底のヘドロみたいのを掻き回すだけとなる。
なので、必然的にトップウォータープラグを投げる事になってしまうのだが、
まあ・・・、釣れない。
釣れる気配どころか、生体反応すら無い。
そうなると、子供は飽きてしまうのさ・・・。
ふっと、何か生命が居るのか・・・?と、そんな疑問を解決したくなり、たまたま持ってたよっちゃんイカを、テキサスリグに・・・。
すると・・・!
ものの数分で、アタリがある!
それほど遠くにキャストしてなかったんで、寄せて、水面から出す前に、網ですくってみると、アメのザリガニGET!
おおぅ、やっぱ、ベイトとなるべき生命体はいるのだね。
というワケで、バス釣り再開・・・せずに、ザリを近場でも狙ってみる。
すると、即バイト!
マジっすか!
上げて、すぐ近くにイカを落としても、また即バイト!
マジ???
そうなると、本格的捕獲モード突入で、バケツ一杯のザリ公を、1時間程度でGET!
ザリガニって、こんなに居るモノなの???
それほど、驚愕だった。
そんなバケツ一杯のザリガニは、当然お持ち帰り。
小学生の漁獲量を超越してたからね、そりゃあ、自慢しまくりたいじゃん。
ところが・・・、家までの道中は、けっこうな距離。
大田区〜港区って、けっこう遠かったのだよ。
しかも、バケツパンパンのザリガニを、カゴに入れての移動だからね。
帰ってくるなり、けっこう疲れ果て、飯喰って風呂入って、バッタンキュー・・・。
翌朝・・・、何やら異臭が。
それどころか、数匹のザリ公が、室内を徘徊中・・・。
アカーン!
昨日、バケツ一杯のザリ、そのまんまにしちゃってた!
つまり、上に居たザリは、バケツを飛び出し徘徊中。
下に居たザリは、圧迫死しており、異臭を放ってる!
その数が、ハンパねー!
異臭も、ハンパねー!
マジか・・・。
当時は、ザリガニが喰えるってことも知らんから、どうするぅ?
まあ、喰えると知っても、ヘドロの池で育った野鳥公園のザリは、臭いに決まっとる。
その証拠に、今メッチャ臭い・・・。
この悪臭は、子供ながらに耐えられん程。
う〜ん・・・、オレの無責任さが生んだ事態とはいえ、これほどの破壊力とは!
とにかく、生きてるザリは、なんとしても飼うぜ。
お亡くなりになってしまったザリは、生ゴミっす・・・。
飼ってたクサガメにあげてみたけど、喰わなかった・・・。
まあ、丸ごとあげちゃってたからね。
ちゃんと、解体して、身だけをあげれば、食べたかもしれんよなぁ・・・。
でも、異臭がスゴかった・・・。
しばらく、不意に漂う異臭に、頭がおかしくなりそうな程、強烈だった。
ザリは、いっぱい捕獲しても、必要数だけ持って帰るべしだね。
まあ、今は、特定外来生物法が出来、移植が禁止されたりもしてるから、持ち運びには注意が必要。
日本で捕獲出来るザリガニは、99%以上の確率で、アメリカザリガニだと思う。
それって、色んな意味で、スゴイことだね。
それなのに、ブラックほど悪者的な扱いにならないのは、不思議なもんだ・・・。


昆虫採集
オレは、ガキの頃、ファーブルさん並みに、昆虫が好きだった。
まあ、昆虫に限らず、魚類も、甲殻類も大好きだったがね。
そんなワケで、昆虫を採るのは、日常茶飯事。
そんで、それを飼うのも、楽しみではあった。
が、しかーし、ネット全盛の現代と違い、昭和の時代は、その虫の飼育方法を調べるだけでも大変。
カブトムシの様な人気モノは、需要が多いから、飼育アイテムも豊富にあったけど、
他の虫に関しては、なんもワカラン。
だもんで、セミもトンボも、採ってきては、虫かごに放置で、翌日合掌・・・、みたいな。
そういう無駄をなくす為に!
というよりも、夏休み中の宿題の一環で、標本を作ってみたい!
なぜなら、夏休み中に訪れていた、母ちゃんの田舎の弘前には、色んな虫がいた。
特に、りんごの木の中には、カミキリムシが豊富に居て、ちょっと木の幹に穴があれば、
その周辺をコンコンすると、「アレ?」みたいに出てきて、簡単に捕まえられるもんだった。
セミは、大量に居たなぁ・・・。
だが、その90%がアブラゼミ。
残りの10%はミンミンゼミで、他のセミは捕まえた事が無い。
それほど、弘前のセミってのは、極端な生態系だったね。
まあ、お盆時にMAX20日位しか毎年居なかったから、他の時期だと違うのかもしれんけど。
トンボは、やっぱし赤とんぼが豊富。
だが、岩木山へ行った時、駐車場でオニヤンマを発見!!!
東京の子供にとって、日本最大サイズとも言われてたトンボとの遭遇は、大感動なんてもんじゃない!
ホントに・・・、いたんだ!が、まず最初のホンネの感想。
絶対に、捕獲したい!!!
だが、ヤツらは、網を伸ばし切っても、届かない位置を飛んでいる。
それでも、長く待っていれば、稀に低空に来る事もある。
そこを狙って、ジャンピングキャッチすれば、採れないワケじゃない。
そりゃあ、もう、夢中に!
見知らぬおっちゃんからも、
「がんばれー!」と言われる程、超追っかけまわして、ついに捕獲!!!
もうもうもうもう・・・・、メチャクチャすげー!!!!!
オニヤンマ、かっちょよすぎ!
っていうか、色合いが、スゴイ・・・。
スズメバチにも通づる様な・・・、黄色と黒のストライプに、なんといっても独特の昆虫感漂う「艶」。
コレが、もう、ズキューン!とクル。
その後、頑張った結果、3匹のオニヤンマを捕獲。
しかも、1匹は、妙にデカかった・・・。
コレは、ぜひとも、標本に加えたい。
というワケで、ウチのオヤジが、田舎にあった昆虫標本を作る様のキットらしきモノを使い、
注射器で、何かをオニヤンマに注入・・・。
もちろん・・・、合掌。
こんな最高な昆虫に出会えると、標本はスゴイものにしたい!と、子供ながらに思うモノ。
翌日から、超気合い入れて虫採りの日々。
東京まで帰る道中では、夜の全SA・PAに寄って、全部の街灯の下をチェック。
それだけで、カブトムシと、クワガタと、ガムシが、いっぱい捕れた。
これで、スゴイ標本が出来る!!!
そう、信じていた・・・。
ところが・・・、いざ東京で、標本作りを始めてみたら、青森で捕獲してきた虫達が・・・!!!
粉々に・・・。
ど・ど・ど・ど・ど・ど・ど・ど・どゆこと?????
え〜!!!
オニヤンマは???
あの、幻のオニヤンマは???
3匹いた・・・、中でも1匹は、超巨大!
それが・・・、みんな粉々。
マージーかーよー!
どうやら、青森でオヤジが注射した液体に問題があったみたい。
防腐剤が入ってなかったのか?
それとも、輸送に問題があったのか?
まあ、ワカランけど、青森で採った虫は壊滅!
ただ、帰りの道中で採ってきた、カブトやクワガタは、生きたままだったので無事。
でも、コイツらは、出来る事なら飼育して、もし死んでしまったなら、標本にしたい。
というワケで、標本は一から出直し!
早速日曜日には、オヤジと芝公園へ訪れ、昆虫採集。
オヤジが、ガキの能力じゃ信じられん程の、巧みな技と捕獲能力を発揮し、多量のセミが捕獲完了。
驚くことに、弘前には、アブラゼミとミンミンゼミしかいなかったというのに、大都会東京には、
その2種の他に、クマゼミ、ニイニイゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシが居た。
あれほど、自然に溢れた弘前には2種しか居ないのに、ほぼアスファルトだらけの東京に、
どうして弘前以上の種類のセミが居るのか?
子供心に、不思議がいっぱいだった。
そんなワケで、結局、昆虫標本は、「青森の珍しい昆虫」から、
「東京で採れる昆虫」に変わってしまったのだけど、それはそれで、すんごくイイ経験になったね。
こういう体験が、オレの日本全国あっちこっちへ行きたい原動力になっている気がする。
ご当地をえぐる・・・という行為に、釣具やご当地モノだけじゃなくて、昆虫や魚類も入っているのさ。


水カマキリ大パニック!
オレがガキの頃、夏休みには決まって、母ちゃんの田舎の弘前へ行ってた。
夏休みの、大半は弘前に居たんじゃないかな?
日中は、連日、虫捕り、魚捕り、魚釣り、といった、捕獲活動に時間を費やしたもんだった。
田舎は、リンゴ農園だったんで、広大な自然の中で、やりたい放題だったのだよ。
そんな中、田植えをしてない水田で、膝まで埋まりながら、泥まみれで遊んでいると、水カマキリを発見!
その姿は、ホントにカマキリ。
カマで生物を捕え、尖ったお口でチュウチュウする。
お尻に長い管があって、その先っちょを水面から出して呼吸するので、水中に居られる。
そんなん、東京じゃ見たこと無いっすよぉぉぉぉぉ!!!
大感動で、捕獲!
意外と、簡単に捕まえる事が出来た。
というワケで、水カマキリ捕獲に、急遽スイッチオン!
すると、意外な程いる!
なんで、今まで気付かなかったのだろう???
結局、1日中捕り続け、30匹位は捕まえたんじゃないかな?
それから数日後、東京へ帰るのだが、行きは寝台列車の「あけぼの」、
帰りは、お盆休みで遅れてやってきた「オヤジの車」で帰るのが定番。
当時は、東北自動車道がまだ青森まで出来てない時代で、今年は仙台まで一般道、
次の年は、盛岡まで一般道・・・といった感じで、なかなか弘前までは開通しなかったなぁ・・・。
首都高速とも繋がって無かったもんなぁ・・・。
そんな体験が、オレの「一般道での旅が好き」なルーツかもしれないね。
というワケで、車で帰るとなると、電車じゃ持って帰れないモノだって、持って帰れる。
かつては、喫茶店を経営してる母ちゃんの弟から、テーブルゲーム筐体のギャラクシアンを貰い、
乗用車の後部座席に詰め込んで、弟はその筐体のすき間で体を曲げながら、
長時間の弘前〜東京間を耐える・・・といったこともあった。
そんなオレの足元には、バケツに蓋代わりの穴を開けたラップをされた状態で、大量の水カマキリをお持ち帰り!
そりゃあ、多感な小学生だもの、東京へ持って帰って、みんなに自慢したいじゃん。
例年は、昆虫や魚を持ち帰る事が多かったけど、この年だけは、大量の水カマキリだった・・・。
青森を出発すると、高速がちゃんと通ってない時代は、東京まで13時間とかかかってたね。
だもんで、青森を夕方に出発しても、着くのは翌朝。
ヘロヘロだったけど、子供はへっちゃらなもんさ。
すぐに水カマキリ自慢・・・とイキたいとこだが、やっぱし到着日は、色々と忙しくもあって、約束するに止まる。
そして翌朝・・・。
家中が、大パニックぅぅぅ!!!
水カマキリが・・・、減ってる!
なぜ???Why???
すると・・・、思わぬところにいる!
和式の便器の中に、数匹・・・。
そう、コイツらは、飛ぶ!
しかも、本家カマキリには無い程、まるでトンボか?というほど、バタバタ飛ぶ!
しかーし、便所じゃ、すでにBIGなモノを垂れ流し済み。
だもんで、BIGなモノと一緒に流され、強制的に下水処理場暮らしを強いられるヤツもいた・・・。
他にも、桶だったり、水槽だったり、家中の水があるところに、水カマキリ!
もちろん、家から飛び出て行ったのもいたみたいで、30匹以上いたはずのバケツにゃ、2匹しかいなーい!
大ショックぅぅぅ!
ダチへの自慢も、水カマキリがスゴイってことよりも、大パニックの爆笑ネタに変わってもうた・・・。
青森からドナドナされてきた水カマキリだが、大都会東京で羽ばたいて元気に生き抜いていることでしょう。


カメ殺しの姉
我が家は、けっこうカメ好きで、ちょいちょい飼ってる。
今は、ロシア陸ガメの「カメ夫」が健在だね。
さかのぼると、オレが小学生低学年の頃、竹芝桟橋でサビキ釣りをしてた時、
一緒に釣行してたヤツが、外道として「クサガメ」を釣り上げたのがキッカケ。
海で、底層を釣るサビキ釣りで、なぜ?淡水性のカメが釣れたのか?
まあ、水面にいたのを引っ掛けだけなんだけど、海に居たのは不思議だね。
それを飼い始めたのが、我が家のカメデビュー。
最初は、小さいケースに入れてた気がするけど、あまりにも動き回る為、
キッチンのシンクで放し飼い・・・。
当時の我が家のシンクは、小さい家の割に妙にデカく、カメ大喜び!
エサは、婆さんが、料理で出た余りモノやったり、塩分取り過ぎだろ!と思われる「しらす干し」をあげたりしてた。
そんなシンクで育つ事数年・・・、姉が当時の小学校の教師から、いらぬ情報を仕入れてきた!
「カメは、冬眠させてやらなきゃアカン・・・」
マジっすか!
オレは、小学生ながらに、もう数年シンクで過ごして、ふつーに越冬してるんですけどぉ・・・と思ったが、
姉にとっては、先生に言われた事が「絶対に正しい!!!」状態。
さらに、近所の金魚屋にまで行って聞いてくると、わらの中で寝かせてやると良い・・・と。
ホントなのか???
というわけで、ケースにわらを敷き詰め、その中にカメ投入・・・。
数日は、バタバタしていたが、観念して眠りにzzz
確かに、眼を閉じて、ちょっと気持ちよさそうにも見える・・・。
姉も得意げに、「ちゃんと、やってあげるべき事をやってあげないから、育たないのだ!」と。
そして春・・・。
ボチボチ、カメを起こすべきなんじゃないかと、ケースを見てみると!!!!!
カメの・・・、中身が無ーい!
乾燥して・・・ミイラになっとる。
甲羅だけは、そのまんま・・・。
マジか・・・。
もちろん、姉に非難轟々!!!
姉は、逆ギレし、金魚屋に問い詰めてみると・・・、
「家庭で飼ってる場合は、温かい環境だから、冬眠させなくて大丈夫ですよ・・・」って、
オマエ、そんなん、先に言えー!!!
もうすでに、我が家のクサガメは、ミイラじゃ!
・・・超ショック!!!
そして、オレが姉の詐欺にあってしまったが為に・・・、クサガメよ、スマンちょだ。

だが、コレで、懲りないのが、我が家の姉。
その後も、ベランダでミドリガメ(正式名称:ミシシッピアカミミガメ)を飼っていた時、
高校デビューを果たし、男にディスコに狂い、すっかりカメを飼っていることすら忘れ遊び呆け、
結果、ミドリガメもミイラに!
しかも、3匹!
もう、オマエは、二度とカメを飼うな!

その後、姉は結婚出来、ダンナの仕事の関係で、一時期三重県に住んでいた時、
近所の川で子供が見つけた「イシガメ」を、また懲りずに飼育し始めた。
そして!!!
今度は、踏んづけて、甲羅を割る!
もち、わざとじゃなく、事故的なモノだが、とことん、カメを痛ぶるヤツだ・・・。
でも、そのカメは、一応、まだ生きてはいる・・・。
甲羅も、修復されてくるもんなんだね。
今度こそは、ミイラにせず、大事に育てろやー!


知らない道を走ってみたい
この好奇心が、オレの「えぐり旅」のルーツとも言えるんじゃないかな?
物心ついた頃から、この気持ちが強く、それを実行に移したのは、小学生の頃。
もちろん、機動力はチャリ。
オレは、港区の竹芝に住んでいながら、その行動範囲は、
昔バスが釣れる野池があった大田区の野鳥公園から、日本橋の東急まで、
けっこうな広範囲を駆けずり回ってた。
その行動範囲よりも、もっと遠くへ・・・ってことをやり始めたのが、4〜5年生の頃・・・だったかな?
知らない道を走っても、最後はUターンすれば戻って来れる・・・、その自信から、アッチコッチへ行ってた。
道中で知らない釣具屋に入り、当時のオレが珍品に感じた「PICOスラッシャー」をえぐったりしてたね。
そんな楽しい遊びを、一人でやってちゃ、もったいない。
というワケで、同級生の一人を巻きこんでみる。
そいつは、人がキャストしてる後ろへ回り込み、頭にルアーが刺さる・・・という、うかつな子だが、
運動神経はそれほど悪いワケじゃなく、頭も優秀な方。
まあ、ガキの頃、そんな事まで考えて付き合ってないから、その日遊んでたヤツを、単に道連れにしただけだと思う。
目指したのは、銀座から右側ゾーン。
銀座の北へ行っても、山手線の延長な気がしたんで、築地から奥へどんどん行けば、ドコに行くのか?
なんとなく、晴海とかへ行けるのが分かっていたから、新たなシーバス釣りのポイント開拓も出来れば・・・、みたいな気持ちもあったような?
んで、江東区へ突入し、色々走り回ってみるも、特に目新しい発見は無い・・・。
そこで、オレの第2の好奇心が発動し始める。
当時映画や、漫画のメカドックで、「キャノンボール」というのが流行ってた・・・気がする。
キャノンボールとは、スタートとゴールが決まっていて、あとは、どんな道を走ってもOK
早く着いた人が勝ち、という単純ルール。
本家はアメリカ横断だが、メカドックは九十九里〜江ノ島、オレ達は、江東区からオレんちまで!
というワケで、見知らぬ江東区の交差点で、左右に分かれ、いざスタート!
オレは、こういうの大好きなだけに、大得意。
まあ、東京タワーという、巨大な目印があるからね。
そこを目指せば、自然と知ってる道に出る。
というワケで、順調にご帰宅完了。
着いた瞬間は、「よっしゃー!オレの勝ちだぁぁぁぁぁ!!!」って感じだったけど、
待てども待てども、別れたダチは帰ってこない・・・。
はて・・・?
もしや、オレんちゴールを、自分ちと勘違いしたのかな?
じゃあ、しゃーないやね。
オレも帰って、飯喰って寝るとすんべ。
その夜・・・。
22:00を過ぎた頃・・・だっただろうか?
我が家の電話が鳴る。
かけてきたのは、別れたダチの親。
電話に出たオレの母ちゃんは、ひたすら謝り続ける・・・。
・・・?
何事?
電話を切った母ちゃんは、「オマエ、なにしてんねん!」
聞くと、ダチは、延々数時間・・・6時間以上かな?さまよい続けていたと。
それでも家には着けず、夜の水道橋で、当時そんな時間に小学生が、
泣きながら自転車を漕いでる事など無かったから、警察によって保護。
パトカーで、家にまで連れて来て貰えたのだと・・・。
おおっ、パトカー乗れてラッキーじゃん!
西部警察好きな小学生にとっては、憧れのマシーンだからね・・・って、そんな方向音痴あるか?
道を人に聞くなり、どうにも、ならんかったのか?
まあ、色々とオレ的に思うところはあっても、一番の悪はオレ!
当然、こっぴどく叱られたし、そのダチは、二度とオレとは遊ばぬ様、親からクギを刺されたらしい。
まあ、ガキは、そんなの守らんがね。
それでも、他人の親に、その子と遊んじゃダメ・・・とまで言われるとは、オレもなかなかだね。
もちろん、知らない道へ行く遊びは、その後も続行されたけど、キャノンボールは封印となってしまったなぁ・・・。
メカドック版の九十九里〜江ノ島キャノンボールも、アクアラインが出来た現代じゃ、面白味が無いだろうね。


シャブ
オレがガキの頃、メインフィールドとしてシーバス釣りをしていたのが、東京都港区にある「日の出桟橋」。
現代は、水上バスの発着場にもなっているが、昔は貨物船が来る程度だった。
そんな桟橋の端っこには、交番があった。
その交番の先が水門になっていて、そこいら辺が、何度かシーバスを釣り上げてる、オレのお気に入りスポットだった。
そんなスポットは、干潮になるとけっこう干上がって、ゴロタ岩みたいのが、むき出しとなる。
潮を見てから釣りに来るのが当たり前だったんで、干潮は避けていたのだけど、
その前週に、ラパラのCD−7で、短時間で5匹を仕留めるという、滅多にない出来事に遭遇したもんだから、
もはや、潮なんて関係なく、居られるだけの時間、フィールドに居たいという気持ちで、その場に来てた。
干潮しきった状態を見た事は無かったから、せっかくなんで色々と散策していたら、銀色の袋を見つけてしまう・・・。
味噌でいったら、500g位のサイズかなぁ?
持ち上げてみると、中身は「粉」っぽい。
もちろん、未開封・・・。
どうする???
そりゃあ、好奇心旺盛な子供だもの、開けちゃうよねぇ。
すると、期待通りの白い粉・・・。
当時、西部警察大好きだったから、即「シャブだ!」と妄想。
そういえば、TVでは、舐めて確認してたなぁ・・・。
というワケで、一口ペロっと・・・。
う〜ん・・・、なんか酸っぱい。
シャブの味なんて知らんのに、舐めて分かるワケ無いか・・・。
じゃあ、どうする???
幸いな事に、すぐそこに交番がある。
届けるべき・・・だよなぁ。
というワケで、「スンマセン、そこで白い粉見っけました・・・」
すると、TVでもシャブの取引に利用されるのは、埠頭。
そんな場所で出た白い粉、交番も一気にヒートアップ!
在中の警官が、奥からも登場し、総勢4名が、てんやわんやの大騒ぎ。
水で溶いてみて、「なんだか粘るぞ!」
「鑑識を呼べー!!!」みたいな。
そりゃあ、もう、交番中大騒ぎ!
オレも、調書的なモノから、発見場所案内まで、色々やって、数時間後。
もはや、調べは任せるだけとなっていたので、釣りを再開してたオレの元に、一人の警官が・・・。
いやぁ・・・、アレは、写真を感光するのに使う液を粉状にしたものだったよ・・・と。
それは、ガッカリなのか、よかったなのか・・・?
ガキながらに判断に困るけど、おまわりの表情はガッカリじゃね?
やっぱ、ヒマしてる桟橋のおまわりにも、刺激が必要だったんだね。
ハンパねー盛り上がりぶりだったから、シャブじゃないと分かった時は、交番中が大ショックだったんだろうなぁ・・・。
しっかし、桟橋、白い粉・・・なのに、シャブじゃない!
そんなオチ、あってエエのか?


パイ毛事件
またもや、姉と弟話になるのだけど・・・、
姉が、小6の頃かなぁ?
たのきんトリオってのが大ブームで、姉も当然それに乗っかった。
マッチの大ファンとなり、ファンクラブに入る入らないで、止められた父親と大号泣しながら大ゲンカした程。
当時、我が家は、6畳の部屋で子供3人すし詰め状態。
その6畳の部屋が、壁だけじゃなく、天井まで、マッチのポスターで埋め尽くされた・・・。
そんな兄弟3人は、メッチャ仲良し・・・じゃなくて、ケンカの毎日!
まあ、小学生の兄弟&姉なんて、そんなもんすよ。
当然、年長が強く、オレ、弟が負かされる日々なワケなんだけど、そんな中、弟は仕返しの秘策を炸裂させた。
当時の姉の命・・・といっても過言じゃない、部屋中に貼り尽くされた「マッチのポスター」
そのポスターの中に、マッチ上半身裸のがあったのだよ。
そこに、まさかの、マッキーで、パイ毛書き足し!!!
姑息過ぎる!
あまりの姑息な手段に、姉はすぐに気付かず・・・。
お互いほとぼりが冷めた頃、姉が気付き、超ブチ切れて、大号泣しながらの大暴れ!
弟も、まさか泣くとまでは思ってなかったらしく、悪い事したなぁ・・・とは思いつつも、
ボッコボコにされ、むしろ、パイ毛をもっと書きまくってやる!みたいな。
そんな楽しい兄弟なので、今でも仲良くやってまーす。


泥棒騒動
オレには、姉と弟がいるのだけど、オレに似てアホ・・・というか、色々とやらかしてくれる。
姉が高校生で、弟は小学生の頃・・・かな?
姉が帰宅すると、誰もいないはずの家の中から、不審な物音がする・・・。
人前だと、やたらと気の強い姉なのだが、実はチビリで、夜中のトイレにゃ1人で行けない程、臆病。
だもんで、その不審な物音に、超チビリモード全開!
どうする???
ちょっとパニック気味になったのか、警察TELするんじゃなく、お向かいの質屋に掛け込む・・・。
「ウチに泥棒がいまーす!!!助けてぇぇぇぇぇ!!!」
そんな、ただならぬ状況に、質屋のお母さんと息子がバットを持って、姉と共に突入!
物音がした2階のふすまを開けてみると・・・!!!
そこに居たのは、弟・・・。
がちょーん!
オマエ、何してんねん!
いやぁ・・・、脅かしてやろうかと思って・・・みたいな。
ふー・・・やれやれだぜぃ。
みんなが、一安心。
すると、質屋のお母さんが、ウチの姉に、
「今、いくつなの?
 彼氏いるの?」と。
「はっ???」
そう、質屋の息子は、40オーバーにして独身。
「出会いが無いからぁ・・・」という理由を前面に出してきているが、めっちゃブサイク!
オタク臭、プンプンですからぁ!
そんなのと、まさかの「結婚しよう〜、ボクと〜、ボクとぉ〜!」
そうなったなら、それはそれでオモロかった様な気もするよ・・・。


ブラック放流
1980年代、日本橋の東急の屋上には、プチ遊園地的な施設があって、
その中に釣り堀があった。
子供向けの金魚釣りと、大人向けのダイナミックバージョンがあった。
ダイナミックは、時に巨大な鯉が掛かる凄まじいモノだったけど、
釣り上げない限りお持ち帰り不可能で、貸出竿は、竹竿で、ハリスも道糸も細く、
針も、鮒用の小型なモノだったので、釣り上げるなんて事は不可能。
決まって、ラインブレイクか、針が折れてしまうモノだった。
一度、水面までよせた魚を、手ですくって上げた事があるけど、「それは不正だ!」とされ、
その巨大魚は、釣り堀へリリースされてしまった。
まあ、結局は、掛けて引き味だけ楽しめる・・・みたいな釣り堀だったのだが、
突如、その釣り堀に「ブラックバス」が、放たれた。
当然、現代の様に、違法行為とはならない時代のお話。
アサガオ市の夜店じゃ、ブラックバスやブルーギルの稚魚が売られたりもしてたからね。
おおらかな時代だったのだよ。
そんな釣り堀で釣れるブラックバスは、30cmにも満たないサイズばかりなので、釣り上げる事が可能。
当然、お持ち帰りしたのだが、当時我が家にあった水槽は、30cm級。
現代と違って、水槽も高額なアイテムだったので、それ以上巨大なモノは買えないし、
買えても置き場が無かった。
となると、当然、ブラック・・・どうする?
どっかにゲリラ放流?
ふつーの人なら、そういう選択肢もあるかもしれんが、オレは飼いたいのだよ。
となると、どこで?
こんなモノが飼える、水槽・・・って考えちゃうと、そんなモノは無理。
だが、池・・・と考えれば、小学校にあるじゃん!
というワケで、小学校へ。
平日登校後に放流だと、色々と面倒がありそうだったので、
休日に校庭解放していたから、そん時に小学校へ同伴出勤。
伸び伸び泳げる場所で、大きくなれよぉ。

数日後、にわかに学校がザワつき始める・・・。
「池に得体のしれない巨大魚が居る・・・」
「その巨大魚が、校長の育ててた金魚を、全て食べ尽くしてしまった・・・」
「どうして、そんな魚がいるんだ???」

当時、オレの担任だった先生は、「ハギワラ」という名で、
頭のてっぺんがカッパ状態になっているのを、バーコードにして隠す手法を取り入れていたが、
当然、オレが名付けたニックネームは「ハゲワラ」。
まあ、オレは愛を込めて、「ハゲちゃん」と呼んでいたがね。
ハゲちゃんとオレは、妙にウマが合う・・・というのか、ライバルだったのか?
授業でサッカーをやってる時も、ドリブル練習で、ハゲちゃんが障害物的な存在となり、
みんなが順に抜いていくのだけど、当然ガチで止めにくる。
オレは、それなりにサッカーが出来るガキだったので、体操得意でサッカー苦手なハゲちゃんとは、
大人と子供とはいえ、雲泥の差があり、抜くのは簡単な事だった。
だが、生徒全員順にやっていくので、抜かれたら抜かれっぱなしのはずなのに、
オレだけは追っかけまわして、何が何でも取ったる!みたいな。
そんな勝負を、毎回やってたね。
お得意の体操やってる時には、逆に、前転とバック転の見本を延々やらされ、
疲れてくると、ついつい手だけじゃなくて頭も使う様になってしまい、
翌日とんでもないムチ打ち状態にさせられる・・・みたいな。
そういう関係の担任だった。
そのハゲちゃんが、この騒動を生徒全員に発表した時には、
「学校の池に、ブラックバスを放った者がいます。
 池の金魚が、みんな食べられてしまいました」と言った後、
オレの目の前に来て、
「誰が、そういう事をするんだろうねぇー」と、まるでオレを犯人かの様に言うので、オレは、
「不思議な事もあるもんだねぇ」と。
まあ、すでにオレが放ってる事は、学校中にバレバレだったからね。
ハゲちゃんにも伝わっていたのだろうけど、結局、おとがめ無し。
校長にだけは、話が伝わんない様に、ハゲちゃんが手を打ってくれたのか、
校長が嫌われ者だったのか、真相はワカランけど、おとがめ無しだった、オモロかったね。
ハゲちゃんは、色々とオレの事が心配だったのか、小学校の時の担任だったのに、
ちゅーぼーの卒業式にも来てくれた。
ハゲには、磨きがかかってたね。
イイ奴だったなぁ。
ちなみに、バス君は、長生き出来ずに、オレが小学校卒業する前には死んでまった。
確か、死体処理は、ハゲちゃんに命ぜられて、オレがやった様な気がする・・・。
当時、バスは最強魚・・・みたいなイメージを子供ながらに持ってただけに、
意外とヤワなんだなぁ・・・なんて思った出来事だったね。
今考えると、バスの釣り堀があって、お持ち帰り出来るなんて信じがたいし、
それを学校の池に放って、その問題がチャラになるなんて・・・、ありえんよね。
色んな意味で、楽しくて、おおらかな時代だったんだよなぁ。


ソルトも休刊
2019年2月21日発売の4月号をもって、ソルトウォーターも休刊が決まってしまいました・・・。
18年の歴史に幕を閉じる事となってしまったのだが、正直、オレにはロドリが休刊になった時ほど衝撃的ではなく、
やっぱりか・・・という感覚の方が、強かった。
というのも、あくまでもオレ個人の感想としてだが、ロドリの方が看板雑誌で、ソルトは派生雑誌・・・みたいな感覚でもあった。
それほど、ロドリの快進撃は凄まじかったし、一時の大人気ぶりは、釣り業界を席巻する勢いだった。
なので、ロドリを休刊する事が信じられなかったし、その時に正直「ソルトは?」と思った。
休刊の順序として、ソルトが先だと、勝手に思い込んでいたんだね。
だもんで、ロドリ休刊後は、ソルトはまだ大丈夫?と、毎月ビクビクしてた・・・様にも思う。
だが、その恐れていた事が、ロドリ休刊から1年も持たずにやってきてしまった・・・。

ちょうどロドリ休刊後に、ソルトは誌面リニューアルへ舵を切り、オレの連載コーナーも内容が一新された。
その際に、相方とワカの間で、構想を巡って熱いやり取りがあったのを目撃してて、
そういう熱で誌面を作れる二人を、ちょっと羨ましくも思えたね。
オレは、本業で、そういう事が出来ているのかな?
そんな人達が作ってるソルトウォーターなので、誌面の内容は充実してて面白いと、オレは思う。
だが、誌面の情報全てが必要か?と考えた場合、オレにはいらない情報ばかりなのも、間違いない。
なんせオレは、海釣りに行く事も少ないし、行ってもウチの息子にとって安全なスポット限定だし、トイレも設置されてないと困る。
船釣りもやらないし、最新の釣具にもあんま興味が無いというスタイルなんで、誌面の内容のほとんどに縁が無いね。
ここ数年は、ルアーを投げるケースも、裏の川でシーバス狙う時だけだし。

日本は、海に囲まれている分、フィールドは無限にあるし、対象魚も多い。
釣り方も無限に広がってるし、地域独特のスタイルもある。
それを、色々と集約して、毎月1冊の本にするという作業は、大変だろうし、ロケもアッチコッチへ飛ぶことになる。
相方は、一時離島のロケをやっていて、その大変さと面白さも色々と聞かせて貰った。
そうやって、色々な思いと頑張りで誌面を作り上げても、その記事の対象魚や釣り方をやる事は無いと読者に判断されてしまうと、
読んで貰う事すら困難となってしまう。
ブラックバスを対象としたロドリと違って、日本一周どこでも海側が釣り場で、色んな対象魚がいるソルトウォーターは、
作り甲斐がある反面、難しいよねぇ。
でもソルトウォーターは、その難しさに毎月挑んで、ちゃんとした本を作り上げてた、唯一の雑誌だと思う。

それでも、休刊となってしまう背景には、ペーパーレスという本離れの実情が、ホントに大きな要因なのでしょう。
情報を得る手段は、ネット(スマホ)が主体となっており、そっちの方が、確かに必要な時に必要な情報だけを得ることが出来る。
そうなれば、わざわざ本を買って読む・・・という事が、無くなってしまっているのだね。
それも、とんでもないスピードで、本離れが加速しまくってるのでしょう・・・。

オレがソルトに出てた回数は、ロドリほどじゃないと思う。
連載は、何年やってたんだろ?
連載以外でも、単発な出演はチョイチョイやらせて貰ってて、フィッシングショーでもロケをやったし、
裏の川でウナギを釣って喰ったりもしたね。
ワカが北海道で釣った深海魚を、その日の夜中に、オレんちで捌いたこともあったなぁ。
一番思い出深いのは、「釣り道具のある風景」というコーナーで、カラー4ページに出演させて貰った事。
その時は、知来さんが写真を撮ってくれて、相方が文章を書いてくれたんで、
他人の目線で見たオレが、記事になっているという珍しいケースでもあったからなのか、
妙に嬉しかったし、今までで一番の出来栄えだと思ってる。
読んでない人は、是非とも、バックナンバーを買って読んで頂きたいね。

実は・・・なんだけど、今連載してる改造ルアーのコーナーで作ったルアーを、
全部寄せ集めて釣りをやってみた!という記事をやってみようと提案されてたし、
B級グルメや釣具以外の変わり種を交えた「えぐり旅」をやってみたいという事も、ワカからは提案されてた・・・。
どっちも、準備万端で用意していただけに、記事にすることが出来ず・・・、残念だねぇ。
ワカとは、ロドリ時代からの付き合いだし、相方とは・・・もはや語る必要もない位の長くて濃い付き合いだし、
マスターとも・・・、稀に一緒になんかやってたような・・・。
そんな仲間達と、これからは一緒に誌面が作れない・・・というのは、ホントに淋しい。
悔しいけど、そういう時代なのでしょう。
でも、いつの日かまた、みんなで一緒に仕事をしようぜ!
その時のギャラは、ルアー1個でなんでもやるから、そこんトコ夜露死苦!


ロドリ休刊
2018年4月26日発売の6月号をもって、休刊が決まってしまいました・・・。
22年の歴史に幕を閉じる事となってしまったのだが、残念の一言に尽きる。
オレが読み始めたキッカケは、沼津を訪れていた時、ご当地の有名な釣具屋さんに行きたかったのだが、
沼津近辺にある・・・ということしか、分かっていなかったのだよ。
現代では、「OKグーグル」とか「ヘイsiri」と聞けば、ご丁寧にルート案内までしてくれるご時世だが、
その当時は、ナビも携帯電話も、限られた人しか持っていなかった時代。
今みたいに、1人数台の携帯やスマホを駆使出来て、車1台にナビ完備なんて事は、考えられなかったのだよ。
当時のオレの「えぐりスタイル」も、一切電子化はされていない。
現地へ赴き、電話ボックスを探しては、タウンページを読み解き、そこに記載されてる釣具屋さんを、地図に記載していく作業を、
電話BOXの中で小一時間やってたもんだった。
当時は、携帯が普及してない代わりに、電話BOXが多かったのだよ。
渋谷とかの繁華街では、行列が出来たりするほどだったけど、地方の電話BOXには誰も来なかったね。
そんな時代で、沼津に居た時には、地図も無かったもんだから、電話BOX作戦をするよりも、
そのお店の情報が載ってる釣りの本を買う方が手っ取り早い気がしたし、なにより後々その本を読むことも出来る。
そんなワケで本屋さんへ行き、何種かあったルアー釣り本の中に、たまたま釣具屋さんリストが掲載されていたのがロドリだった。
そんな事から、一読者としてロドリと触れ合い始め、その後、不思議な縁から、当時は副編集長だったS氏にお宝ルアーを売ったり、
当時のロドリスタッフにもお宝ルアーを売ったりしてた。
ロドリ誌面では、ロビンさんの漫画に使って貰ったのが、最初では無いんだけど、オレの存在を認知してもらう大きな出来事になったね。
その後、「えぐり旅」のコーナーを復活するという話が、出世したS編集長からやってきて、
当時、文章を書くなんてことを、全くやった事が無かったオレなんで、単にスタッフに釣具屋さんを紹介するだけだろう・・・と思って引き受けたら、
なぜか?文章まで書くことになって、それが、今日まで続いているのだから・・・、人生ってのは、何があるかワカランよね。
オレには、ガキの頃からの夢が二つあって、一つはオヤジの会社を継ぐこと、もう一つは、大好きだった釣りで何かしたい・・・だった。
オヤジの会社は、残念ながら倒産してしまったけど、今居る会社で、同じ事業を継続させて貰っているし、
オレが抱えてるお客さんには、オヤジの会社名だった「大進」さんと呼んでくれる人が多くいる。
今の会社にオレが移って、もう10数年という月日が流れているにも関わらず、有難い事だよ。
逆に、そんだけオヤジの会社は、スゴかったんだとも思う。
その領域に、少しでも近づければ、オレの夢にも近づいてる事になるのかな?
もう一つの夢は、子供だったから漠然と「釣りで何かしたい」と考えてた。
というのも、当時はメディアで釣りが取り上げられる機会なんてのは、週に1、2回の放送程度で、30分の番組。
今みたいに、CSで24時間釣り番組なんて、あり得なかったのだよ。
だもんで、当時の釣り番組に登場するなんてのは、あまりにも狭き門だし、
そのTV番組にはオレが敬愛する「西山徹」師が出てたんで、その領域を汚す考えはなかった。
オヤジからも、「釣りで飯は喰えん!」と言われていたこともあって、釣りを職業にする考えは全然なかったなぁ。
でも、漠然と、何かがしたい・・・という気持ちだけは、根強くあった。
そんなオレの夢を叶えてくれたのが、ロドリ。
自分から売り込んだわけでもなく、ひょんなことから「えぐり師チャーリー」が生まれ、
知らず知らずのうちに・・・、夢の一つが叶っていたんだね。
人から言われた時に気づいたのだが、釣り業界とは無縁のオレが、釣り雑誌で長期連載してるってことは、とてもスゴイ事なんだと。
例えば、野球好きなサラリーマンが、野球雑誌で長期連載する・・・なんてことがありえますか?と。
プロという組織があるのは、野球もバス釣りも一緒。
野球の方が有名な雰囲気はあるけれど、野球人口なんてのは、25万人程度。
だが、釣り人口ってのは970万人とも言われているから、その人数の違いからも、その世界で活躍する事が、どれほど困難な事なのか、
そういう状況の中で、釣り業界とは全く無縁の単なるサラリーマンが、なんで長期連載できるのか?
あり得ないにも程があるし、他の人じゃ考えられないというか、実現すら出来ない事なんじゃないか・・・と。
そんなことを言って貰えたことがあって、まあ・・・色々と考えたのだけど、
オレは、オレ一人の力で、今の状況が生まれたワケじゃないと、痛感してる。
一緒に記事を作ってくれてる相方の力が大きいし、キッカケを作ってくれたのも、色んな人のサポートがあってのモノ。
相方との縁は、最初の連載の時からで、今ではお互い家族ぐるみで、色んな事を助けてもらったり、教えて貰ったり、一緒に楽しい時を過ごしてる。
こういう風に、リスペクトし合える人達との出会いも、ロドリにはさせて頂いた。
最初の「えぐり旅」の連載は1年で終えたが、次のN編集長がフィッシングショーのロケなんかでチョコチョコ使ってくれたり、
ケンケンからもミニコーナーを担当させて貰えたり、なんだかんだと、不思議な縁は大きくなって、より深くなって続いていった。
その縁から、ソルトにも派生していったのだからね・・・、スゴイもんだよ。
ソルトでは、連載以外にも、ワカが変な魚を夜中に持ってきて捌いたり、相方とは裏の川でウナギ釣って蒲焼きにしたり、
あり得ない事ばっかりだね。
ロドリでやってる「えぐり道中膝栗毛」は、まさかまさかの長期連載となっており、何歩やったんだかオレにも分かってない程。
その前に、「ちゃー散歩」という記事をやらせて貰っていて、水辺の生物についてオレが語るという、
釣具とは別の仕事もやらせて貰えて、色々とオレの幅をも広げて貰えた気がする。
なにより、オレにしか見れない景色を、たくさん見せて頂いたと自負出来るし、家族にも、オレにしか出来ない体験をさせてあげる事が出来たと思う。
その体験や景色は、人生において最高の思い出となって刻まれているし、家族や仲間と共有出来ていることも、オレには誇りだね。
独りよがりの自己満足じゃなくて、家族と、そして仲間と一緒に、新しいモノを生み出すという作業は、人生において最も楽しい時間だったと思う。
そんな記事が、もう書けなくなるのは残念だねぇ・・・。
ホントに、寂しいよ。
でも、長期連載のご褒美として、ラストは4Pカラーで登場する事が決まりました!
なので、皆さま、最後のロドリは何冊も買って、永久保存版としてくださいませ。
オレも、持てる力を全てさらけ出して、最高の記事に仕上げます。
あと、読んでいないとは思うが、他誌の方々。
えぐり旅を誌面でやりたい時には、遠慮なく声を掛けてちょーだい。
ギャラは、ルアー1個でOKざんす。


障害児の父として
ウチの息子が、障害児だと分かったのは、生まれて数年経った頃。
ウチの奥さんと息子で、定期的に受けていた検診中に「自閉症」の疑いが強い・・・みたいな感じだったと思う。

その事実を知った時、オレ的には
「だから・・・、何?」
という感想しか無かった。

障害があろうが無かろうが、今ココにオレの息子がいて、オレは息子のことを大好きなのだから、後はどうでもイイ。
そういう感覚だった。
障害があったからといって、オレの息子に対する気持ちが変わる事は無いのだから、どうでもイイのだよ。

ただ、障害によって、ウチの息子が何か不利益を被らない様に、全力で守っていくこと、それだけは強く思った。
でも、それは、障害のある無しに関わらず、親なら誰もが子供に対して思う感情なんじゃないかな?

あとは、ウチの奥さんに「自分のせいで障害児が生まれた」なんて風にだけは、絶対に思ってもらいたくなかった。
だってオレは、ウチの息子のことが最高に大好きなのだから、こんな子を産んでくれたことに感謝しかしてないのに、
その子を産んだことを悔やむ様なことだけは、絶対に思ってもらいたくなかった。
逆に、こんなに素敵な子を産んだ事を、誇りに思って欲しかった。

それに、今まで子供を育てた経験など無いのだから、障害児だから大変・・・、
なんていう風には、小さい頃は全然思わなかったんだよね。
子供を育てるのは、みんな大変じゃん。
それは、健常児も自閉症児も共通。
特別な感じは無かった。

それに、その障害に対して、「治療法」があるのなら、親はそれに全力で取り組むと思う。
だけど、現代では自閉症は、一生治らない脳障害の一種であるとされているのだから、
治らないモノを治そうとするなんて、時間の無駄でしょ。
治すんじゃなくて、オレ達が息子を理解する。
それだけで、良いんじゃねーの?

「自閉症を治す」なんて、やり様が無い目標に向かうよりも、
やれる事を日々頑張って、1日1日を楽しく過ごすのが、一番息子の為になる。
それがイイ方向に成長出来る「はじめの一歩」になる・・・、そんな気持ちだったかね?
息子が生まれて19年経った今、ちゃんと実践出来てきたと言えるかな?

ただ、感情を上手く表現出来ない・・・ってことには、苦労はしなかったけど、ちょいと淋しい・・・気持ちがあったね。
人間って、自分が行った事に対して、どうしても見返り的なモノを求めちゃう生き物でしょ。
オレが、息子におもちゃを買ってきた時、喜ぶ笑顔が見れたら、それはそれは嬉しいのだけど、
ウチの息子は、そういう感情表現が一切出来なかったから、オレ的には手ごたえを感じる事が出来なかったんだよね。
何に興味があるのか・・・を、汲みとってやることも、なかなか出来なかった。

だったら、なんでもかんでも、やってみるべし!
というワケで、当時はトイザラスへ行きまくって、おもちゃを買い漁り・・・、その延長線上でオレもガンプラ作りまくっちゃったり、
鉄道模型集めちゃったり・・・、ジオラマ作ったり・・・と、息子を理由に脱線しまくりだった。

でも、そういうオレの「モノ造り」する姿を見て、色々と興味を持っていた様で、
こっそり隠れてドライバーを扱い、おもちゃの電池交換を自分で勝手にやる様になった。
ウチの息子の見て覚えるパワーってのは、すげーなぁ・・・と、感心したもんだ。
だけど、調子コイて、なんでもかんでも電池交換したり、壊してしまったおもちゃでさえ、電池交換すりゃ甦る・・・みたいな勘違いもする。
こういうのって、なんだか、ふつーの子みたいで、オモロイよね。
ちゃんと成長しているんだなぁ・・・と、すんごく幸せになる瞬間でした。

やっぱり、こういう小さな幸せが、自閉症児と過ごす一番の醍醐味だとオレは思う。
ふつーの子だと出来て当たり前の事が、ウチの息子の場合、スゴイ事になる。

例えば、TVのリモコンを指差し「それ取って」と、言って取ってくれるようになるのは、ふつーの子だと何歳くらいからだろ?
幼稚園に通う頃には、みんな出来て当たり前のことだよね。
ウチの息子は、小学校高学年くらいかなぁ?
出来た時には、「どうした???」って思った程、ビックリだった。
あまりにも嬉し過ぎて連発しまくった為、ウチの息子には軽くキレられたね。

そういう事が出来るようになると、徐々に意思疎通も出来る様にもなり、言葉を意思として発することは無くても、
色んな単語や歌を歌う様にもなり、楽しみ広がる毎日だった。

ふつーの子と比べて、あまりにも遅いペースでの成長かもしれないが、オレには心地イイスピードでもあった。
色んな事を、ゆっくり丁寧に感じ取れるのは、ウチの息子ならではでしょう。

それと、感情表現出来ないのを理由に、毎週末の休日にお出掛けするのは、オレの好きな場所ばかり・・・だったね。
釣りやえぐり旅・・・、今も大差無いけど、ディズニーへは連れて行ってなかったなぁ。
だもんで、小学校2年生の冬、まだウチの息子も感情表現なんて、全然出来てなかった頃、
釣りに行く・・・と言って、こっそり連れて行った。
当時は、多くの人を見て脅えてしまう事もあり、ディズニーへは足が向かなかったのだけど、
やっぱ、連れていくまで、ホントの事はワカラナイ。
妄想だけで判断しちゃうのは、人間の一番愚かな行為だとオレは思う。
やってこそ、「その人の意見」ってのは、活きてくるからね。
じゃあ、行ってみよー。

最初こそ、脅える感じだったが、初めて見るディズニーは、まるで夢の様だったみたい・・・。
アトラクションも、楽しくて仕方なかったみたいだね。
だもんで、そろそろ疲れただろう・・・と、夕方帰ろうかと思ったら、断固拒否!
「そろそろ帰ろうか?」と言ったら、
足をその場で踏ん張って、「ヴーン!!!」と、言葉にならない様な言葉を発してまで必死の抵抗!
これほど、ウチの息子が感情を表現したのは初めてだったから、それはそれは、もう嬉しくて嬉しくて・・・。
ディズニーすげー!って、心の底から思えたね。
でも、閉園時間になっても、「ボク絶対に帰らない!帰ったら二度と来れないもん!」って感じで、猛抵抗。
とはいえ、その頃は小さかったから、その抵抗も可愛さ満載だったね。
高校卒業した今になっても、こだわり行動が消化できずに、帰らない!って猛抵抗する時があるけど、
今は、パワーもあるもんだからハンパねーんだ。
そう比べちゃうと、当時の抵抗は可愛かったなぁ・・・。
結局、その時は「絶対にまた連れてくるから・・・」
「すぐにでも、必ず来るから・・・」と、何度も何度も言い聞かせて、やっとの納得。
普段、睡眠障害気味で、車内で寝たことなど無かった息子が、帰りの車内でバッタンキューしちゃう程、
たっぷりと遊んで、すんごく楽しかったみたい。
これほどの手ごたえを感じたのは、後にも先にもディズニーだけだね。
ホントに、スゴイよ。
だもんで、オレの夢は、「100歳になっても、ウチの息子と一緒にスプラッシュ落ちる事」に決まった。
それまで、目一杯生きて頑張るぜぃ。

苦労したのは、先にも書いた睡眠障害的なモノ、夜なかなか寝付けないことが多かった。
AM3:00過ぎてもバリバリ元気で、静かならイイけど、夜泣きするような時には、仕方なく真夜中のドライブに・・・。
その当時は、夜に酒を飲みまくってる余裕もなかったなぁ。

あと、周囲から変に思われる事を、どう受け入れられるか・・・ってのも、必要な事なのかな?
ウチの息子は、障害児とはいえ、外観上は健常児となんら変わらん。
簡単に説明しちゃうと、でっかい赤ちゃんみたいなもん。
手を離しちゃうと、どこに突っ走っていってしまうのかワカランし、過去にそれで行方不明になってしまったこともあった。
なので、手をつないで行動するのが常なのだけど、おっさんと間もなく成人の子が手をつないでいる光景は、
ふつーの人からしてみたら、変態カップルでしかない。
ましてや、ウチの息子はおんぶが大好きで、今でもおんぶでは無いけど、後ろから手だけを回して抱きつきながら歩いてる事もある。
ますます、変態カップルだよね。
ふつーの人は、自閉症児なんて存在すら知らない。
オレも、息子がそうだと判明するまで、その存在すら、ちゃんと理解していなかった。
たぶん、ウチの息子が健常児だったら、今でも理解して無かったんじゃないかな?
そういう意味では、ホントにウチの息子はオレの視野を広げてくれたね。
だけど、ふつーの人は、狭い視野のままでしょ。
そういう人達から見れば、オレと息子の行動は異常でしか無い。
そういう「異常」を見ると、ふつーの人ってのは「関わらない様にする」か、「なにあれー」的な表現をして、
周りに同調を求めて排除しようとするモノ。
きっと、オレも健常者ならそうしていたのだろうと思っているので、オレは、オレとウチの息子にそういう視線を浴びせられても、
なんとも思わない。
逆に、オレとウチの息子の関係を、分かる方がおかしいでしょ?
だから、ふつーの人の行動は、ある意味正しいのだから、しゃーないのさ。
だもんで、そういう「変態カップル」なのを楽しめるようになると、ドコでも気にせず活動出来るようになるね。

あとは、こだわり行動が、年々増えてきて、面倒が多くなってきた。
ディズニーでも、このアトラクションには乗るけど、アレはイヤ・・・とか、レストランはココに決まり!というのも多い。
ランドじゃ、絶対にキャプテンフックスギャレーのシーフードピザ、シーじゃ、ザンビーニのボロネーゼが鉄板だからね。
どっちも、メニューから消えたら、どうすんべか?
そういう時の説得が、すんごく大変なのだけど、逆にそういう機会をディズニーで色々と経験出来る分、
実生活ではそう行った時の対応に、応用力がオレ達にもついてるけど、ウチの息子にも免疫が出来てます・・・みたいな。
ホントに、ディズニーには、色んな意味でお世話になってるね。
大感謝だよ。

そんなワケで、あんま為にならない様な内容ですが、障害児との生活をオレはすんごく楽しんでます。
これ以上無い、幸せな家庭だと自信を持って言えるし、これからもそう。
ウチの息子の視野を広げる為にも、いっぱい色んなトコへ旅に行って、
オレにしか見せてあげる事が出来ない光景を、家族に見せつけてあげたいと思う。
そんで、いっぱい色んな体験をさせてあげたいと思う。
あんま、難しく考える事は、無いんじゃないかなぁ?
長い人生を考え過ぎて悩む前に、まずは今日をどう生きるか。
それも、全力で楽しく過ごすのはどうするか?
その積み重ねが、明日につながるのだと、オレは思ってるよ。
こんな我が家ですが、これからもみんな、夜露死苦だぜぃ!


POPEYE
単に「ポパイ」といえば、あのホウレンソウを食べると無敵になっちゃう人とか、
なんかのファッション雑誌だっけ?
そんなのにも、使われてた気がする。
でも、ルアーフィッシングアングラーにとっては、超有名ともいえる釣具屋だった。
全盛期には、20店舗を超え、圧倒されるべきはお店の規模。
ロッド&リール、ルアーの品揃えはもちろん、大型店舗にはバスボートが数台並ぶほど、
日本の釣具屋としては、ありえない規模だった。
内部レイアウトにも、外車が飾ってあったり、ログハウスの様な雰囲気もあったり、
大型水槽には巨大バスが何十匹も飼育されていたりした。
行ってビックリするほど、なんじゃこりゃ?ってお店だった。
オレが、ポパイに出会ったのは、ウチの奥さんと結婚前、一緒に一般道で琵琶湖〜京都〜大阪なんかを旅してた時。
ナビが無い時代で、土地勘も無く、てきとーに国道1号線を走って、気ままに旅してた。
そんな時、京都でみっけた釣具屋が「ポパイ」だった。
当時は、ルアーフィッシングバブル前。
オレが今連載してる「Rod&Reel」も、まだ創刊されてない頃だった。
オレは当時から、異国の地で釣具屋に行く事が大好きだったので、京都で国道1号線沿いにある釣具店を偶然見つけたなら、
そりゃあ、寄るでしょ。
その時、なにを買ったのか?
ルアーは、当然買っているのだけど、何一つ覚えてない・・・。
だもんで、オレ的に「これぞお宝!」なんて思うルアーには、巡り会えてなかったんだと思う。
だけど、その時買ったリールを、すごくよく覚えていた。
買ったのは、アンバサダー522というベイトキャストリール。
厳つい形状で、大きさ的には、ABUの6000番クラス。
バスフィッシングには、それほど向かないリールだと思えたが、特売で1万円もしないで買えた・・・。
それが、すんごく印象的だったんだよね。
当時は、中古釣具屋なんてのも無い時代だったから、安く釣具を買える・・・ということが、あんま無かった。
そんな時代に、子供の頃から憧れのアンバサダー・・・それが、522とかいう得体の知れないモデルとはいえ、
まさかの1万円以下?
あまりの衝撃に、ついついお買い上げしてしまったのを、昨日の事の様に覚えてる・・・。
それが、オレのポパイデビューでもあった。
そんなお得にアンバサダーが買えたもんだから、ポパイが大好きになり、東京か関東地方にも出来ないもんかな?
なんて事を願っていたら、驚異的なバス釣りブームに乗っかり、あれよあれよ・・・という間に、店舗増大!
東京には、最初世田谷の二子玉辺りに出来、そこの店員さんと仲良くなったら、二子玉から練馬に移転しちゃって、
仲良かった店員さんがいなくなっちゃった・・・のかと思いきや、土浦店の店長になっていたりして、
不思議な人間模様が、体験出来たね。
土浦で再会した時には、お互い大感動だったもんなぁ。
関西に遠征してた時には、Kinki店で上質のABU5500ブラウンを、今じゃ考えられない7万円でお買い上げ!
アメリカから直輸入で仕入れたというだけあって、未使用状態な超美品だった。
その時に、2000円以上お買い上げでクジ引き・・・みたいのをやっていて、7万円もお買い上げしたもんだから、
まさかの35回!
そんだけ引けば、1回はなんかが当たるはずなのに、まさかの全スカ!!!
ありえんでしょ!!!
店側も、おかしいなぁ・・・ホントに当たりは入っているんですけどね・・・と、かなりバツが悪そう。
ぜってー入ってねーだろ!!!
と言いたいトコだが、そこは大人。
35枚もありがた迷惑なポパイシールを貰って帰ってきた。
でも、今となっては、それもイイ思い出。
だけどそんなポパイシールは、いらねーからあっちこっちにバラまいたはずなのに、いまだ我が家には10枚位残ってるね・・・。
面白いもんだよ。
そんな思い出いっぱいの「ポパイ」なんだけど、先日潮来にあったお店が、移転して超縮小してた・・・。
かつては超巨大店舗で、バスボートが何台も展示されていたというのに、今はちっちゃい釣具屋さん・・・みたいな。
マジで、何これ?・・・ってのが、オレの心境。
だもんで、ちょっとネットで調べてみたところ、2013年のGWをもって、埼玉店と草津店も閉店となる。
知らぬ間に、東京にあった練馬店や、たまに行ってた相模原店も、とっくに閉店・・・。
他もみーんな閉店してしまった様で、残すところ、郡山、潮来、琵琶湖の3店舗のみ!!!
そうなのー!
う〜ん・・・、これが時代の流れ・・・と言うには、あまりにも淋しい。
ブームが去ったとはいえ、母体の経営が悪かったとか、バス=害魚と祭り上げられたせい・・・とか、
色々と要因はあるのだろうけど、今更それを分析したところで、復活出来るお店は皆無でしょ。
悲しいけど、これが現実なのよね。
オレ的に、思い出いっぱいなお店だっただけに、ちょっとボヤいてみたくなっちゃった・・・かな。
ポパイに限らず、厳しいトコはいっぱいある。
釣り業界に限らず、他の職業にだって、厳しい現実ってのは、いっぱいあるもんさ。
でも、一生懸命頑張ったモノには、ちゃんとイイことが待っていると信じて、今日もオレは頑張っていきたいと思う。


競馬
2010年7月3日、あの怪物「オグリキャップ」が死んだ。
空前の競馬ブームを生み出した、最大の功労馬と言えるだろう。
当時、オグリキャップが与えた他産業への経済効果も計り知れないほどだね。
完全に一時代を築いた、偉大な馬だといえる。
オレが競馬をかじり始めたのは「シンボリルドルフ」の頃かな?
本格的に馬券を買い始めたのは???
もはや記憶にもないが、オグリの頃は現役バリバリだった。
この頃が、オレの競馬最盛期だったと思う。
それから、ナリタブライアンの頃までやってたと思う。
この馬の引退が、オレの競馬引退につながった気がする。
まあ、色々と生活が大変だったこともあったね。
最近じゃあまったく、馬の名前すらわからん状態。
現役馬よりも、その馬のお父さんやお母さんをよく知ってるよー、みたいな。
う〜ん、オレも歳をくったなーとか思う。
そんな状態のオレにでも、やはりオグリキャップが亡くなってしまったことは残念でならない。
とはいっても、そんな特別な思い入れや、当時のにわかファンの様な異様な盛り上がりは無い。
オレがオグリに会ったのは、たぶんたったの一回。
東京競馬場での引退式だったと思う。
しょっぱいカメラで撮影した結果、豆粒みたいなオグリの写真が2枚だけ撮影出来た。
これがすこぶる残念だったんで、その後競馬で儲けた時に、望遠機能付きのカメラを買った。
この経験が今も染みついていて、デジカメを買う際にも、一番にこだわったのは望遠性能だった。
もはや競馬もやってないってのに、スゴイもんだ。
間接的ではあるが、こういう感じでオグリには色々と教えてもらった気がする。
馬券も、最初の頃は儲け主義というか、的中することだけに専念していたのだが、
オグリの登場によって、その馬で買うようになってしまった。
そうなると、的中率はグンバツに落ちてく一方なのだが、楽しさや悔しさは倍増された。
「競馬はロマン」だと、分かった瞬間かな?
まあ、そんなこんなでオレとしては、オグリキャップが死んだのは、ひとつの時代が終わりを告げた感じだった。
出来れば、シンザン程の長生きをして欲しかったが、残念だ・・・合掌。


特定外来生物法
2005年6月、こんなんが出来た!
この法については、賛否両論色々とあんだろうが、オレ的には、どうでもいい。
まぁ、バスの害魚論そのものが、オレはどうでもいいと思ってる。
この手の問題ってのは、お決まり事だが賛成派と反対派がいて、
お互い、文句を言い合って遊んでるだけに思えるよ。
オレ的な見解だが、根本的に、この害魚論を大きな視野で見たら、
「人間の都合によって移植された魚が、人間の都合によって害魚扱いされ駆除されている」
これが現状で、実際魚(ブラックバス)は何もしていないのに悪者で、
移植した人間がまるで良い者だから駆除します、って感じかな。
もちろん、人間サイドの見解としては、移植した人間と、駆除した人間は別の人間だから、
こんな見解はおかしいのかも知れんが、
人間以外の生物から見たら、現状況はこんなもんで、最も悪いのは「人間」でしょ。
この地球上に人間がいなければ、「生態系」も正しく機能するだろうし、絶滅する生物だって激減するよ。
つまりは、最も地球上での悪な生物は「人間」で、人間以外の生物はみんな「人間がいなければ」って思ってるよね。
地球そのものにだって、人間ってのは、地球の寿命を縮める存在でしかないんだから、こりゃあもう完全なるガンだね。
でも、人間ってのは都合よく出来てる生き物なんで、そんな視野で物事を見ちゃぁいない。
まぁ、そんなわけで、人間的視野に立って見直してみたいと思う。
まず、ぶっちゃけて、この手の問題はHP上で語るのはタブーかな?って思ってた。
っていうのも、こういう問題ってのは賛成派と反対派がいて、書けば必ずどちらかの反感をかう。
そうすっと、色々と面倒臭い事になってきたりもするから、だったら書かない方が得だし楽。
でも、この法案のおかげで、ウチで飼育中のブラックやギルに対して飼育許可の申請とかしなきゃならなくなっちまったんで、
ついでだから、ちょいとタブーに触れてみようかなって感じで、今まで書かなかった害魚論とかについても書いてみたいと思う。
ただ、あくまでもオレ的見解なんで、そこんとこ夜・露・死・苦!

まず、この害魚論が現在のように活性化した最大の要因は、ブラックの生息地拡大だと思う。
オレがガキの頃(1980年前後)は、今で言う「メジャーレイク」だけがバスの生息地。
それ以前だと、あの霞ヶ浦にさえ、バスがいるなんて夢みたいだった感じ。
それが、いまや、「日本全国どこでもいるよ」みたいな状態で、なぜにここまで広がった?
一説には、釣り人のゲリラ放流が原因とされたが、そんなこたぁないだろう!
だいたい、ブラックだけじゃなくてギルも同時に繁殖している現状、
ブラックの繁殖を補助するベイトとして、同時にギルも放流されていると思われる状況から
明らかに、組織的な規模でのゲリラ放流だね。
バス反対派の代表格的存在の「秋月 岩魚」氏の著書によると、
今から20〜30年前に、元ザウルスの社長達が所属していた釣りグループや、
スミス絡みの大御所さんなどが、そういったゲリラ放流を行っていたっていう経緯が書かれていたが、
現状を作り上げたのは、その後に何者かによって行われた、組織的規模でのゲリラ放流だとオレは思う。
なんでかってえと、ゲリラ放流って組織力、経済力、あってのモノ。
個人じゃ、せいぜい成魚2〜3匹程度でしょ。
それを近所の野池に放流して大繁殖するなんてのは、けっこうな奇跡でしょ。
そもそも、2〜3匹で♂♀揃ってるのか?って問題もあるしね。
まぁ、産卵後に、巧くミニバスを大量捕獲出来たなら、ありえるのかな?
それでも、水質変動やストレスに弱い稚魚期に、別の場所に持って行って放流するとなると、
けっこう素人には難しいと思うよ。
そういった現実から、「個人でゲリラ放流」ってのは、現実的にその行為があっても、
それが日本国内バス大繁殖の要因とは、到底思えない。
繁殖させるための知識、ゲリラ放流地までバスを生かして搬送出来る装備、ゲリラ放流するためのバスを調達する経済力、
こういった事を全て兼ね揃えて初めて可能なことだと思う。
まぁ、そう考えっと、組織的なゲリラ放流を行う者達がいたと考えるのが妥当かと思うやね。
でも、確証なんてのはなんも無いから、あくまでもオレの妄想。
ただ、それほどまでに、1990年代前半にバスの生息域って、超急速拡大した。
そんで、あのバブル的なブームがやってきた。
客観的に見てると、実にタイミングよく、まるで描いたような展開だった。
ここで問題なのは、このバブルで儲けた金を「バス」のために使わず、私利私欲にだけ使ったことだ。
あの時のバス業界は、この先ありえないほどのバブル状態だったんだから、
その金をバスの市民権を得るために、少しでも費やしていれば、現状の害魚扱いはなかったとさえ思える。
現在の日本で、バスほど経済効果のある魚は、地球上他にいないんだから、
そういった実状とバブルで儲けた金を武器に、バス業界はバスが市民権を得るような活動をしとけば、
今のようなことにはならなかったと思う、まぁ後の祭りだけどさ。
結局、世の中「金」なんだから、政治家なんて、生態系を守るとか日本の古来種を守るとか、
そんな気持ちは、まったく無いでしょ。
本気で、生態系や日本の古来種を守るだったら、外来魚で日本の古来種を捕食しているバスなんて、
駆除する以外ないじゃん。
でも、駆除されないのは、驚異的な経済効果があるから、政府にだって税金が流れてくるワケだしね。
そんな実状から、とりあえず超曖昧な規制してるんだかしてないんだか、さっぱりわからん法が出来ちゃった。
釣り人が困ることは、今んとこなさそう。
バス業界もこのレベルなら、まっいっかって感じ。
でも、オレは困った!
ウチのブラックの飼育許可なんて取るハメになっちまった!ふざけんなよ!
でも、今後はどうなるんだろうね?
オレは、バスは害魚でもあり、益魚でもあると思う。
食性は、間違いなく害魚。
ウチのブラックは、8cmサイズから飼育開始して、今ちょうど1年で35cm位。
現在は、1ヶ月40匹以上の5cm位の金魚サイズ魚を喰ってる。
この食性が、継続されると1匹で年間480匹以上喰ってる計算になっちゃうから、
バスが、100匹いたら、48000匹以上の魚が年間喰われちゃうワケでしょ。
まぁ、あくまでこれは水槽飼育のウチのブラックから算出した数字だから、正しいとは思わんが、
コレくらいの威力は、間違いなくあるね。
だもんで、日本の古来種だけが好きな人にとって、バスは敵ですな。
オレだって、オレがメインで魚捕りに通ってる川には、バスに来て欲しくないからね。
ただ、あれほどの経済効果のある魚は、この先絶対に現れない。
たかが、バス1匹釣るのに、一体何万種の釣具があるの?
何千種の竿、リール、何万種のルアー・・・、これにボートやら、ウエアやら、様々なアイテムが・・・
マジで、相当金を使わせる釣りだよね、経済効果抜群です。
コレで、バスが日本人に喰われる魚であったならば、害魚なんて呼ばれないね、絶対に。
でもって、結局オレの考えはどうなのかってえと、
バスが規制されるってのは、ある程度バス業界の自業自得。
バス釣り業界関係者には、バスで飯喰ってる以上、もうちっとバスを守って欲しいやね。
でも、バスの害魚論ってのは、適当なインチキネタが多い。
「水面下」って言葉があって、この意味は、水面の下のことはわからないってこと。
つまりだ、分からないことをイイことに、適当に言える。
害魚論を唱えてる人は、これを巧みに使って、インチキネタで害魚だと言ってることが多い。
だもんで、オレはどうでもいいと思うよ。
害魚論で論議したい人達が、それでやりあって盛り上がって、挙句の果てには
それを商売にして飯まで喰えるんだから、結局こういうのまで「金」だよね。
地球上で、最も「害」である人間が、何を偉そうにアレコレ言っているんだろうか?
なんて思っちゃってるのがオレの本音。
どうでもいいじゃんそんなの。
人生80年、そん中でどんだけ好きなように遊べたかでしょ。


オレのフィッシングスタイル
オレのフィッシングスタイルなんてのは、特になんも決まりごとなんてナイ。
トーナメント仕様だとか、TOPだけ、なんてのはありえないね。
オレは、何でも使うし、自分のやりたいスタイルなら何でもやる!
まぁ、あんま深く考えずに、好きなようにやってるだけですな。
メインで使ってるタックルを紹介すっと、
まず、竿は基本的に3本+えぐった竿を持っていく。
3本は、現段階での不動竿かな?
えぐった竿ってのは、その時のえぐり次第でランダムに決まる。
不動の3本ってのは、全ベイトで
1.メガバス デストロイヤーF1−60X
2.TENRYU LAUNCHER TWB−63
3.DAIWA PHANTOM AWB−662L
デストロイヤーは、6フィートでライトアクションの竿。
販売当初、超プレミアが付いていたころに運良く入手した初期の竿。
特別気に入っているとか、メガバスのファンとかじゃなくて、
なんだかんだと、売るチャンスを逃してしまった!
いまや、5千円位でしか売れんだろうから、
だったら使うか!ってな感じで使ってる。
誰もが皆「えっ、デストロイヤー使ってるんですか?」って驚くね。
それほど、オレには似合わない竿らしい。
なぜだぁ〜!オレだってたまには最新の竿くらい使うさ。
昔は、ノリーズのホリデースペシャルってのを愛用していたが、この竿は売れてしまったのさ。
天竜の竿は、6フィート3インチで、たぶんミディアムライトアクション位。
この竿は、釣具屋で握ったらいい感じだったんで、買った。
んで、使ってみたら、やっぱいい感じで、かなりお気に入り。
最近じゃ、最も多用しているかなりの万能竿だね。
ダイワの竿は、ちょいとOLDな一品。
6フィート6インチでライトアクション。
ダイワの古竿として特別人気があったモデルでもないし、
価値が無い古竿なんで、えぐり師らしい竿かな?
1980年代にカーボンに変わる新素材として採用した?
アモルファスウイスカーという、なんだかワケのわからん素材を使った竿。
こういうのって、すんげ〜オレの壺だね。
ダイワの竿以外は、わりと新しい竿。
んで、やわらかい竿ばかりなのさ。
なぜか?ってえと、やわらかい竿だとバスを掛けた後が楽しいから。
固い竿のほうが、重いルアーが扱いやすいだとか、感度がイイだとか、電撃アワセがやりやすいだとか、色んなメリットがある。
しか〜し、オレにとってそんなことは、ど〜でもイイ!
バスを掛ける前のことなんざ、ど〜でもイイのさ、掛けた後楽しきゃ、それでOK!
というワケで、オレの竿はみ〜んなやわらかい!
男の竿は硬くなきゃダメ!だと思うが、釣りに使うのは、やわらかくていいのさ。
これらの竿に組み合わせてるリールは、
デストロイヤーには、ABU1500C ブラウンカスタム
天竜には、ABU4500C ブルーグレー
ダイワには、PHANTOM PT10E
ABU1500Cブラウンは、通常の1500Cとはギア比が違うと思った。
1990年初期頃に売られていたモノで、珍色って感じがお気に入り。
ハンドルとドラグは、標準装備品がイマイチだったんでカスタムした。
ハンドルは、ショートタイプでパールホワイトの小ノブが搭載されてるOLD品
ドラグは、角爪十字タイプで、ブラックに塗装されているタイプにカスタムした。
ABU4500Cブルーグレーも1990年初期頃のモノ。
通常のグレーよりも濃い色合いなんで、オレは勝手にブルーグレーって呼んでる。
この色合いが、天竜竿の色と同系で、よく似合う。
ダイワのPT10Eは、アモルファスと同時期に売ってた液晶リール。
えぐったリールでも紹介しているが、昔っから使ってる。
リールは、全てえぐり師らしいかな?
ABU2台が、1990年初期頃のモノなのは、単なる偶然。
この頃のABUは、取扱いがエビスからオリムピックに変わって間もない頃。
一時、エビス時代以前で古ABUを分類して、オリムピック時代ってのは古ABUとは考えないみたいな感覚が蔓延してたんで、
オレは、OAラベルの付いてるオリムピックなABUがかなり好き。
4500Cブルーグレーの変わりに、同色系の150PLUS(これも1990年初期頃のOA品)を
カスタムしたモノ(えぐったリールで紹介してるモノ)を使うこともある。
PT10Eとは、長い付き合いだね。
無駄的な珍機能満載のコイツは、オレにとって最強にして最高だね。
最新のリールってのは、使わない。
なぜか?単に買えないだけっす!
最近のリールは、高ぇ!
まぁ、リールだけじゃなく竿も高ぇ!
セットで10万円ってのも珍しくない現代には、かなりビックリだね。
もはや、趣味の道具って値段じゃ無いぞ!
みんな金持ってんなぁ〜、なんて感じですな。
強いて、最新リールを使っていない理由を考えると、オレは、飛距離ってのをそんなに必要には感じていないからかな。
最新のリールじゃなきゃダメだ!なんてことはあんまナイ!
けど、ぶっちゃけて最新リールは欲しい!
カルカッタコンクエストDCなんてのは、ぜひイジってみたい!とか思う。
たぶん、使ったらビックリするんだろうなぁ〜。
今のリールって、こんなにスゴイのか!ってね。
けど、オレがそう感じるリールを、今からルアーフィッシングを始める金持ちはイキナリ使っちゃうワケでしょ。
そういう人達って、そのリールのスゴさもイマイチ体感出来ないし、昔のリールを使っても「楽しい」とは思えないんだろうなぁ〜。
う〜ん、なんかもったいない気がするね。
ラインは、ナイロンしか使わない。
PEは、過去にZ社のを使った時、フルキャストするとルアーが切れて飛んでいく病に悩まされ、激ムカついたから封印した。
フロロは、スピニングに10lbを巻いて、ベールを起こしたら、スプールに巻いた半分以上のラインが自動リリースされ、
激ムカついたからこれも封印した。
ナイロンは、GT−Rみたいに摩擦抵抗に強いのが好き。
けど、金銭的な問題で、安いラインを使うことが多い。
中古系釣具店や、ワゴンセールなんかで、それなりのメーカー品で定価が千円以上するラインが、300円以下だった場合にまとめ買いする。
オレが使ってるABUの2台には、そういったラインを巻いている。
ダイワのPT10Eには、ストレーンの10lbしか巻かない。
これは、このリールの珍機能を100%発揮するためなのさ。
ルアーは、何でも使う!
パターンとかは、ほぼ無視!
このルアーを投げたいから投げる!っていうのが多い。
まぁ、土日釣行で100%陸っぱりだから、パターンなんてのは、あんま関係ナイだろうって感じかな。
たまに来た釣りだから、あんまウザいことは考えずに好きなようにやりゃぁ、いいじゃねぇか、って感じですな。
なんだか、最近のバス釣りってのは、妙な能書きが増えてついてけねぇ!って感じもある。
波動がどうとか、タキオンなんとかだとか、なんだかんだと色んな新語と能書きがてんこ盛り!
ど〜でもイイね、そんなこたぁ。
オレの場合、「そこにバスが居そう」ってところを超アバウトに狙ってキャスト!
後はリトリーブしつつ、「バス喰え〜」って念を送るのみ!
んで、釣れない場合、念が足りなかったか、そこにはバスが居なかっただけだとオレは思う。
もし居ても、そいつはきっと、やる気が無いヤツだったんだね。


四代目えぐり師になるには!
えぐり師なんて肩書きは、勝手についてくるモノなんで、特別なモノでもないし偉くもない!
えぐり旅が好きならそれだけで「えぐり師」だと思うし、色んなとこ行って釣具買ってりゃOKでしょう!
ただ、ロドリ的なえぐり師っていうことになると、色んな条件があると思う。
そういう意味で、ちょいと話を進めてみましょう!
オレは突然の三代目採用だったことは、何度か書いてると思う。
そんなワケで、一代目、二代目のえぐり師の方々とは、オレはお会いした事がない!
そのため、一代目、二代目の方々が、どういった経緯で「えぐり師」に採用されたのか?
ってのが分からんので、あくまでも、オレと同じバージョンでの「四代目えぐり師」ということで考えてみたい。
オレが、三代目に襲名された理由ってのは正式には不明なんだが、単純にオレが思ったのは、
「えぐり旅」の記事として使えそうなお店の把握状況が多かったことだと思う。
単純なんだが、えぐり旅の記事は「えぐれる店」があってのモノ。
えぐれる店がなければ、記事にも出来んし、何にもならないってのがホントのところだね。
つまり、最も重要な条件は、「えぐれる店」ってのを大量に知っているってこと。
んで、極力というか、オレの場合は、ほぼ確実に「関東中心」ってのが条件になりつつある。
コレは、別に他地域をシカトしているワケではない!
単に、ロドリが東京にあるし、オレも東京に住んでいるため、他地域だと高額な経費が発生してしまうからだと思う。
「えぐり旅」のコーナーが大人気になって、高額な経費を使ってもOKになれば、遠征も可能なのかも?
次の条件として、誌面で使うキャラとして「どうなのか?」ってのがあると思う。
というのも、別にオレ自身がやんなくても、お店の場所を教えてあげて、ロドリスタッフが取材に行くって方法ってのも可能だろうから、
何もオレをキャラとして使わなくてもよかったんじゃないか?なんて疑問もある。
何で?オレがキャラとして採用されたのか、ついでに何で?オレが原稿までも書いているのか?
ってのは、実はオレもすんごい疑問に思ってた。
今でこそ、えぐり旅の連載もしてるし、ホームページも作ったが、
当時というか今でもオレは、バス業界とは無縁の単なるサラリーマンだし、ロドリの一読者に過ぎないと思ってる。
そんな立場でしかないオレをキャラとして使っていいのか?原稿書かせていいのか?などなど、大量の疑問と、
逆にそれでやっちゃうのかロドリは!っていう驚きが今だにある。
この辺は、なぜなのか?
単に面倒だからオレでとりあえずやっちゃったのか?う〜ん不思議だね。
けど、とりあえず、キャラは「短ラン&ボンタン」という指定があった!
「えぐり旅だから旅人的なキャラがいいなぁ〜」、なんてS編集長は言ってたが、
短ラン&ボンタンのどの辺が旅人なのか?ものすっごい疑問だね。
実は、昔のオレが着ていたかも知れない?ってなことが発端だったんだが、昔のヤツなんてのは、もはや着れなかったね。
なので、調達してきたんだが、それでも学ランはちょっと小さかった!
ならばと、背中に刺繍も入れた!
コレはオレの独断でやっちゃったが、ロドリじゃ大ウケだったね。
つまり、キャラとしては、こういうアホなことが可能であること、ってのが条件のひとつなのかも?
単に、オレが勝手にやってるだけ?って気もするが、こういうノリってのは大事なんじゃないかと思う。
原稿は、とりあえずオレが書いているのは、文字数とか細かい事は一切考えず、フリーに好きなように書かせてもらってる。
ロドリ誌上で記事になっているのは、このオレがフリーに書いた文を、一緒に取材に行ってる「宮ちゃん」が、
色々と調整してくれたモノが載っている。
こういう条件での原稿なんで、オレは即日書くことが可能で、楽しく取材させてもらってる。
んで、最も問い合わせが多い部分への返答なんだが、「えぐったタックル」ってのはどうしているのか?
この疑問は、読んでくれたみんなが最も多く感じる事みたいだね。
取材費で購入しているのか?だとか、オレが自腹で購入してるのか?全部買い占めてしまうのか?
など、まぁ当然かな?って思う問い合わせが多い。
まず、誌面上に載る「えぐった品」なんだが、コレは現地の釣具屋さんの軒先で、その場限りで一時的にお借りして撮影するだけ。
撮影終了後は、全てお店にお返しするため、取材費で購入なんてのはナイ!
過去には、読者プレゼント用に数点購入したりもしていたらしいが、オレの代になってからは一度もナイ。
オレが自腹での購入ってのは、ある!
というのも、オレは「お店に入ったら何かを買う!」ってことをポリシーにえぐり旅をやっている。
このポリシーは、取材で訪れたからなんてことで崩す気はないんで、必ずお店に入ったら何かを買うようにしている。
んで、この買うモノってのは、実は大したモノじゃない!
今まで、えぐり旅の記事に載ったモノでは、たぶんワッペンとTシャツ位しか買ってはいない。
他では、誌面に載らない小物(バッチ)とか、スプーンとか、スピナ−、パチルアーなんてのが多い。
買い占めなんてのはやらんし、やる金もナイ!ってのが本音かな。
買い占めるほどの財力があったら、ヤフオクなんてのはやってないよ。
それに、そもそも今やってる「えぐり旅」で紹介しているお店ってのは、ほぼ過去にオレがえぐったお店。
当然、ロドリで連載する以前にえぐったお店なんで、その店にある欲しいモノってのは、過去に訪れたときに購入済。
なので、取材に行ったところで、いまさら買うモノなんてのは無い!ってのが当たり前。
けれど、取材時には、いつもよりも当然「本気モード」でのえぐりをやってる!
プライベートだと、あまりのホコリに埋まっている状況に対決を挑めなかったり、
とても手を出せなさそうな位置にあるタックルまでは面倒臭くて掘らなかったり、
体を変な方向に曲げないと辿り着けない位置にあるタックルなどなどは、「ありそうだな〜」って記憶しておくだけ。
しかし!取材時には、店内の全タックルを完璧にえぐりきる!まで掘る。
そのおかげか、取材で訪れたお店では必ずと言っていいほど、新発見なアイテムが見つかってる。
コレは正直、取材を始めて最もビックリしていること。
こんなに掘れば、まだまだあるんだな〜、ってね。
そんな中で、オレが好んで買うモノってのは、誌面に載るようなA〜B級のOLDタックルじゃなくて、
えぐりタックルコーナーある品々だと、考えてもらえば分かりやすいかな?
んで、Rod&Reel(本物の竿とリールね)は、大量に所有しているため、最近はルアーと珍品しか買ってない状況。
意外と、みんなに気付いてもらえないのだが、オレがえぐり旅をやってる目的ってのは、1に釣具店全国制覇なんだよね。
オレは、日本中全部の釣具屋に行くことってのが、最大にして最高の夢なワケ。
その次に楽しみにしてんのは、お店のじいちゃん&ばあちゃんとの会話!
有名なTV番組で「所さんのダーツの旅」ってのがあるでしょ、アレを観てると、旅先の人達ってオモロイよね!
オレの感覚では、アレと一緒!
あの感じで、釣具屋のじいちゃん&ばあちゃんにイジッてもらう(あげる?)ってのがすんげ〜幸せなワケよ。
そんで、安っぽい「明らかに誰も買わない釣具」っていうのが売ってると超幸せだね〜。
古いタックルに出会えるってのは、すんごい嬉しいし楽しいことだけど、それを必要以上に買おうとは思っていない。
使うモノならば、モチ買うけど、使わないモノまで、古いからって買ってたらキリが無いしね。
それに、当然の事だが、買い占めたら記事には出来ないからね。
ロドリ的なえぐり師になるには、買い占めない事ってのも条件のひとつなんじゃないかな?
よく、誤解されんのは「えぐり旅の取材で色んなOLDタックルが買えていいですね」みたいなことだね。
そういう気持ちで「えぐり旅」の取材をしたいって考えてる人は、残念ながら「えぐり師」にはなれません!
その逆で、「えぐり旅」に使えそうなお店を紹介できる人じゃないと、ロドリ的なえぐり師にはなれないでしょう。
ロドリ的えぐり師になるには、色んな釣具屋に行きまくる事。
行って釣具をえぐる知識があること。
そして、買い占めない事、
ついでに、キャラが作れる人、原稿をある程度書ける人、ギャラが安い事!以上です。
ちなみに、毎週釣具屋をえぐるために必要な費用ってのは、かなりの額になる!
月に6回行くとして、ガソリン代、外食費、高速費(我が家は未使用)などで、どんなに少なくてもひと月3万円は必要。
コレに、釣具代が加わると、かなりの金額になる。
オレの場合、入った店で必ず何かを買う!
買うものは、5円のオモリ〜1000円のルアーまで、色々。
平均で、少なく見積もって1軒300円とし、1回のえぐり旅で30軒回った場合で、月6回で54000円!
移動費&釣具代で少なくても月に84000円。
コレに、高額なRod&Reelが加わったり、高速を使ったりした場合には、10万円超えも珍しくない状態だね。
月々20数万円のサラリーマンで、えぐり旅のギャラは「諭吉いる?」って感じだから、
我が家の「えぐり旅」ってのは、マジで命がけ!毎月がギャンブル!今日も綱渡り!ってな状態。
ホントに、いまだに無事に何とか生活出来てるのは、家族の協力あってのモノだね。
ちなみに、ビンボーなえぐり師の妻ってのは、毎週末えぐり旅か釣りにしか連れて行ってもらえず、
自分の欲しいモノをほぼ全て我慢して、ダンナのえぐり代に出来る人しか不可能でしょう。


旅をしていて思うこと
えぐり旅で、日本全国あっちこっちに行っていると、さぞかしすんごい観光名所でも見れるのか?
と思いきや、実際、我が家は大したものは見てない。
まぁ、日中は釣りしてるか、えぐってるかのどっちかだからね。
情緒あふれる町並みや、観光名所なんてのは、オレは眼中なし!
せいぜい、晩飯にその土地の名物でも・・・、って感じで街の主要部へ行く程度だね。
するとだ、どこの街に行っても思うんだが、ここ数年で日本の町並みってのは
どこもかしこも「同じ風景」になりつつある。
同じスーパー、同じコンビニ、同じファミレス、ファーストフードなんてのは、もはや定番だが、
古本屋、レンタル屋、洋服屋、100円SHOPなんかもどこも同じのが多いね。
おもちゃ屋、薬屋、ホームセンターだとかも、大手チェーン系が増えてるよな〜。
こんな調子だと、いずれ日本の町並みは、どこ行っても同じで、
観光旅行する楽しみなんてのは、なくなっちまうんじゃないか?なんて気持ちになる。
けど、そのおかげで、逆にその土地の穴場的な店やスポットを見つけた時には、嬉しさも倍増したね。
そういう方面でも、「えぐる」ってことが、基本になりつつあるね、我が家では。
これはこれで、楽しいんだけど、なんでもかんでも大型チェーン系店だけで
町並みが構成されてしまうって現実は、ちょっと考えさせられるよなぁ〜。
確かに、「世の中金!」ってのが、現実だよね。
情緒あふれる味のあるモノを残すってのも、金があってのことなんだろうから、
金が無きゃ、潰されて、金儲けの為に開拓されちまうってのが現実なんだろう。
オレは、貯金も無えし、毎日が綱渡りって状態で今日を生きてるからさ、
こういう動きを止める力なんてのは持っとらんが、コレでいいのか?日本は?って思っちゃうね。
嫌な状況なんだけどさ、コレが日本の象徴とも思える部分もあるってのが、さらに悲しい状態だよね。
いつまでも、色んな方面で「えぐれる店」が残ってて欲しいよな〜。


オレのタックル達
「えぐり師」なんて、肩書きを持っていると、さぞかしすんごいタックルを持っているんだろうな〜、
なんて、思われるらしく、タックルボックスが見てみたい!
だとか、どんなの持ってんですか〜、ってな、問い合わせがけっこう多くなってきたんで、
この辺で、ちょいと説明しちゃおうかな。
すんごいタックルっていうと、世間的には、OLDならHEDDON、人気系ならメガバスってのが、今は定番なのかな?。 
ZEALなんかも昔は非道かったけど、今は、けっこう買えるようになってきたよね。
この辺のルアーってのは、確かに一時持ってましたね、すんごい量で。
しか〜し!み〜んな売っちまった。
中古屋、フリーマー、ヤフオク、ダチに無理矢理など、ありとあらゆる手法を用いて、全て売り尽くした。
なんでか?
コレは、簡単です、高く売れるからだね。
ほとんどが、定価前後で売れる、モノによっちゃぁプレミアも付くんで、
買値よりも高く売れると思ったら、容赦なく売っちゃうね。
なぜか?ってえと、ウチは「えぐり旅」のやり過ぎで、常に「金欠病」に侵されてる。
ぶっちゃけ、毎月がギャンブル!今日も綱渡り!ってな状態になってるね。
なので、せっかくえぐったタックルであっても、売ってしまう。
まぁ、元々えぐりの趣旨ってのも、価値の無いB〜C級のタックルを探す、って部分が基本条件なんで、
高く売れちゃうA級タックルってのには、えぐり師としてあんまり興味がない、ってのもある。
なので、オレのタックルってのは、高額物件から処分される傾向にあるんで、
オレが使ってるタックルってのは、激安・珍品で、釣れるモノってのがほとんどだね。
年代的には、全然バラバラで、昔のモノから今のモノまで、何でもコイ!って感じ。
オレは、釣具ってのが全部好きだから、なんでも好きだし、なんでも使う!
っで、結構「天の邪鬼」な部分がつおいんで、人が使わないタックルってのがツボだね。
そんで、安くて、どうしょうもない姿をしているタックルには、メロメロにやられちゃうね。
簡単に言うと、えぐりタックル紹介コーナーで紹介しているアイテムがオレの中心だね。
使わないタックルを買う、ってのもあんま好きじゃないんで、基本的には全部使う。
まぁ、A級タックルは、我が家の場合、全て「ドナドナ」されちゃうからね。
もったいなくて使えない!なんて思うような代物は残っちゃいない。
なので、み〜んなガンガンに使ってます!
でも、大量に買い込んでしまった品は未使用で残ってる、というか、
毎日毎日くだらないモノを買ってきてしまうため、ジャンジャン貯まる一方だね。
オモリは、ホントヤバイ位ある!
ナス型2号シンカーは、たぶん1000個以上ある、一生分だね。
そんな訳で、オレの使ってるタックルってのは、これからも、「えぐりタックル」紹介コーナーに
じゃんじゃん増殖していくんで夜・露・死・苦!
オレのコレクションタックルってのは、金欠になり次第、「ヤフオク」にドナドナされていくんで、コッチも夜・露・死・苦!


えぐり旅について
「えぐり旅」っていうのは、ロドリ的には「忘れ去られたオールド系のB〜C級釣具を、現在でも普通に売ってるお店を探す」
っていうのを趣旨でやってるよね。
けど、オレ個人の「えぐり旅」っていうのは、もっと大雑把なんだ。
オレの中での基本精神は、「日本中にある釣具屋に全部行く!」
そんで、オールドのみならず、人気系のメガバスやZEALだったり、
なんの価値も無いコーモランだったり、正体不明のバッタモンなんてのを、各地でえぐりまくってる。
基本条件として、「入った釣具屋では必ず何かを買う!」ってことにこだわってる。 
例え、欲しいモノがなくても何か買う!
ナス型シンカーだとか、ガン玉なんてのはどこでも売ってるからね。
な〜んも欲しいモノがないときには、こういうのを買ってる。
だから、えぐりの不発が続くと、オモリだらけになる。 
さらに、ツワモノな店だと、オモリも欲しいサイズがない時がある。
そういう時には、未知なる釣具を買う。
今まで、一度も使ったことも無いような「ワカサギ用の仕掛け」なんてのを買ったりする。 
それらは、カスミ(霞ヶ浦)辺りで、バス釣りに行った時に、ちょっと釣れなくてヒマな時に使ってみたりしてる。 
こういうのって、意外と楽しかったりする。 

さてさて、話が逸れちまったので「えぐり旅」に戻すと、ウチは常に家族3人でえぐり旅してます。 
こだわりは、徹底的な経費節減・・・かな。
高速道路は使わない!宿には泊まらない!ってのが、我が家では常識になっちまったね。
でも、四国行った時には、瀬戸大橋を使ったけど。
長距離一般道は、かなりハードだよ、ホントに。
行くだけで、数日を要する旅になるからね。
東京〜四国間一般道だけだと、2〜3日は移動だけで費やすことになる。
我が家のえぐり旅では、釣具以外にも、釣れそうな野池や、ご当地の安くて美味い食い物もえぐってる。
こういう風に、釣具に限らず色んなモノをえぐってると、えぐり旅ってすんごい楽しいことだと思わない?
実際、オレはすんげ〜楽しいんだけどね。
ツライ面というのは、不発が続いたときかな〜。
非道い時だと、2日で40件くらいの釣具屋さんを回って、全滅だったりする。
そん時には、1店で10個位ナス型オモリ買ってたもんだから、なんとオモリ400個!
いまだにウチに大量にあるぜ・・・。
現実的には、一時期(特にバブル期)の驚異的なブームや、インターネットでの転売行為などが原因で、
「えぐれる釣具店」というのは、まず見つからないという状態になってしまった。
「えぐったタックル」だけが欲しいと考えるならば、「えぐり旅」というのは、旅の費用が最低限必要になってくるから、
やらないほうがハッキリ言ってお得。
中古釣具店にマメに通ったり、ヤフオクを毎日チェックしている方が、よっぽど楽で、よっぽど安く買えるんじゃないかな。
それでも、我が家は旅に出る!日本中の釣具店を制覇するその日まで!
今日も釣具屋がオレを呼んでいる!?


まずは、オレのプロフィール
手抜きっぽくて、すまんこってす!
まぁ、一応、「オレ」についての問い合わせとかもあるんで、
ここいらで、キッチリ紹介しとこうかなぁ・・・とか思いまして、まとめてみました。

源氏名:えぐり師チャーリー
本名:なぜか?不明
生年月日:19??年4月8日
血液型:O型
出身地:東京都港区竹芝
座右の銘:「なんとかなるさ」
尊敬する釣り師:西山 徹
好きな芸能人:舘 ひろし
ライフワーク:えぐり旅
好きな酒:何でも可
好きな音楽:1980年代のROCK&HARD ROCKとZIGGY(SNAKE HIP SHAKES含む)
天敵:牛乳

こんなもんかな?
もうちょい具合的に、補足していくと、
まず、本名が不明ってことには、特に意味はナイっす!
別に隠しときたいってワケではなくて、連載前から源氏名があったもんで、
じゃあ、本名を公開しなくてもいっか・・・ってな感じで、シークレットになっているだけ。
チャーリーの由来は、ロビンさんのマンガに載ったときのハミダシに書いてあるから読んでね・・・って、無理か?
簡単に言うと、学生時代からのあだ名です。
当時は、髪型がバリバリのビジュアル系だったんで、そっち方面だったかは忘れたが、
チャーリーセクストンという当時ソコソコ売れてた外国人に髪型が似てる・・・ってことで、
オレをそう呼ぶ悪童がいて、伝染していった感じ。
だもんで、高校時代から、オレは本名よりも源氏名の方が通り名になってる。
ロドリスタッフでも、源氏名しか知らん人がいっぱいいるしね。
チャーリーセクストンは、後に氷室のギターを弾いたりとかしてたんじゃないかな?
まあ、数曲程度だろうけど。
なんかしら、氷室とは関りがあったと思う。
オレは、全然無いがね。
年齢は、一応伏せてる。
なぜか?オレは別にかまわないんだが、ウチの奥さんがバレたくないらしいんで、
まぁ、オレの歳も伏せといたほうがいいかな?って感じなのさ。
出身地は、意外と都会っぽく感じられる場所だが、オレが生まれた頃は「下町」って感じ。
チャリで数分のトコに、海釣りの出来る場所が多かった。
釣りにハマったのは、ガキの頃、橋から川を眺めた時、水面でやたらと光る魚の腹に魅せられて、
家にあった釣具にゴカイを付けて、橋の上から糸を垂らしたら、入れ喰い!
それも50オーバーの、巨大ボラがガッツンガッツンに!
コレで、釣りにハマったね。
んで、そのボラを持って帰って、煮て喰ったらマズイのなんのって・・・。
運河のヘドロの味がモロに!
臭いもかなりキツイ!
臭いなんてもんじゃない!
完全に生ゴミ状態だったね。
それからは、釣っても喰わない習性が身に付き、当時キャッチ&リリースってのを大々的にPRしてた、
ルアーフィッシングに魅せられていった。
まぁ、ルアーでシーバスが釣れる環境下だったってのが大きかった。
座右の銘は、そのまんまオレの生き方。
今までの人生では、あまり経験することが無いであろう出来事や、マジでヤバイ!っていう、大ピンチが幾度となく訪れたのだが、
「なんとかなるさ」で、乗り越えてきた!
この先の人生も、このノリでいってみたいと思う。
尊敬する釣り師は、「西山徹」師、この人しかありえませんな。
ガキの頃は、師が出演していたTV番組「ザ・フィッシング」(だったけ?)にかぶりつきだったね。
その影響で、当時の(今もか?)オレは、ダイワ社のタックルを愛用してた!
当時、あこがれのABUを買おうと金を貯めていたのだが、貯まった時にはあの液晶リール買ってたね。
西山師は、どんな釣りでも出来ちゃうってのがスゴイ!
そんな中でルアーフィッシングも好き!っていうスタイルが、すんげ〜共感出来て大好き。
ルアーフィッシングにハマると、他の釣りは無視で、ルアーフィッシングが一番エライ!・・・みたいな。
そういう風潮に、陥りやすい。
極端になると、トップウォーターフィッシング以外釣りじゃねー・・・とか、
そういう風に、鎖国的になっていく。
でもオレは、全部の釣りが楽しくて、大好きなのさ。
釣りってのは、オレにとって「永遠に楽しい遊び」でありたいなって思う。
そういう目線では、釣りキチ三平が好きな理由も同じだね。
両者とも、釣りに万能で上手い。
ただそれは、ひけらかす事じゃなくて、純粋に好きだから上手い。
スゴイ事だよ。
好きな芸能人「舘 ひろし」ってのは、う〜ん・・・「渡 哲也」もアリかな?
西部警察マニアとしては、どっちか悩みどころだね。
当時、芝浦でしょっちゅう「西部警察」の撮影やってたもんで、超感化されたなぁ・・・。
ライフワークは、永遠に「えぐり旅」だね。
絶対に、死ぬまでには「日本全国釣具店えぐり行脚完全制覇」をするつもり。
モチ、機会があれば海外だってやる!
仮に、日本を完全制覇出来たとしても、「今度は2周目!」とかってやっていくんだろうな〜。
好きな酒は、一応ポン酒がNo,1かなぁ?
つまみとの兼ね合いの都合上、日本酒を好む事が多い。
でも、お値段が高いのと、健康上の理由で、ポン酒だけを好んで浴びるように飲むことは出来んのだよ。
酒の中で、ポン酒が一番医者に止められるね。
糖質が多いから、鍋とポン酒は、メタボの元なんだとさ。
焼酎や泡盛も大好きなんで、健康上、そっちをチョイスするように・・・したい。
ウイスキーもブランデーも、もちろん大好き!
特に、スコッチがさいこー!
ジャパニーズだと、ニッカが最高だね。
シングルモルトが一番好きだけど、ブレンデッドでも美味いモノは美味い。
魂さえ入っていれば、どんなウイスキーでも美味く感じちゃうね。
高級ホテルで、夜中にしんみりと飲むウイスキーは、格別なんすよ。
得体の知れない酒も好き!
電気ブランなんて、マジで激美味い!
ビールも、上面発酵だろうと下面発酵だろうと、全部好き。
一番は、イクスピアリで味わえる地ビール。
これが、最高。
他にも、好きな地ビールはあるけど、長くなるんで割愛ね。
唯一の苦手は、赤ワインかな?
白やスパークリングは好きなんだが、無意味に高額な熟成された赤とか、
安モノで胸が「ぐわー」ってなっちゃう赤ワインは、マズイよね。
なんか、ああいう酒ってのは、酔えない。
ボジョレーなんかを、ありがたがって飲んでるヤツの気がしれん。
あんなモノは、ワインにとって重要な熟成をせず、フレッシュな状態のモノでしか無い。
その年にしか味わえない・・・みたいな事で希少価値をあおっているが、
ふつー、大量生産されてない酒は、みんなそう。
それなのに、メディアに踊らされた「ボジョレー」だけが、日本が世界で一番最初に解禁になるというだけで、
くだならなく盛り上がってる。
味は、ワインとしては3流以下なのにね。
そういう風にしか、アルコールが楽しめてない国民性は、オレの大嫌いな感覚でもある。
もう少し、アルコールと向き合って、一人でも多くの人が、ホントの美味しいモノを知っていってくれると、
日本のアルコール市場は大きく変われると思う。
ビールも、ピルスナー以外のモノが、もっともっと販売されていく様になるんじゃないかなぁ・・・。
オレは、毎回限界まで飲む!ってのが好き。
酔わない程度に飲むなんてのは、ありえないね。
酔う為に飲むのさ。
楽しく、気持ち良くなるのが大好き。
セーブして飲むとか、そういう感覚は大キライ。
だったら、飲むなよ!とか思う。
翌日の事なんかを考える位なら、飲まない方がイイ。
翌日なんて、「なんとかなるさ」としか思ってないから、オレは気持ち良くなるまで飲む。
さて、話は変わって、好きな音楽ってのは、かなり、マニアックな話になっちまう。
なので、興味のナイ方は、こっからは飛ばしておくんなまし。
オレの好きな音楽ってのは、けっこうマニアックで偏りが強い・・・、かな?
好きなアーティストだけを、しつこいほど聞いて、他はあんまり聞かないんだよね。
1980年代のROCKってのは、実は「RICK SPRINGFIELD」だけしか聞かない!
この人を知ってる!って言ってくれる人には、いまだにあったことがナイね。
それほどマニアックな人だとは思わないんだが、意外と知られていないのかな?
オレは、かれこれ38年以上(2020年現在)聞き続けているんだが、う〜ん実にグレイト!
この人の音楽が、オレの音楽観の基本となっているね。
HARD ROCKはそれなりに色々聞いていたのだが、大好きなのは
ALCATRAZZ(YNGWIE時代のみ)、
Paul Gilbert(RACER X含む)、
DOKKEN(ジョージがいる時代の解散直前まで)
この3アーティストが最高にお気に入り。
ギターをやってた影響でか、ギターが巧いアーティストって大好き。
アルカトラスは、衝撃的だった。
当時、脳ミソまでぶっ飛んだね。
その後、YNGWIEを追っかけたが、オデッセイでオレ的にはお終いだった。
ポールギルバートは、MR,BIG時代よりも、ソロになってからが好き。
逆に、RACER Xは、昔の方がヤンチャでイイね。
ドッケンは、昔日本でやったLIVEアルバムまでだね。
解散して、各々ソロでやったり、また復活したり、ジョージだけクビになったり
などと、色々あったのだが、解散してからのは・・・、特にジョージなんて、クビなったらあんな・・・。
日本のアーティストでは、唯一「ZIGGY(SNAKE HIP SHAKES含む)」だけ聞く!
っていうか、超好きだ!
最近では、「命」だね。
ZIGGYといえば「GLORIA」。
それしか知らんって人もかなりいる位、メジャーなんだか、マニアックなんだか、世間的にはなんともビミョーなバンド?
けど、オレは大好きだ!
いつかLIVEに行って、ノリノリになりたいと思う。
そんなワケで、こんなのを最後まで読んでくれた方々、ありがとうございました!
こんなオレですが、これからも夜・露・死・苦!お願いしまっす!


TOP